瞑想を続けてみて起こったこと
瞑想レッスンへの参加
Biwanoteraの瞑想を知ったきっかけは、
2021年5月。
知人女性からの紹介だった。
もともと宗教や心理学に興味があったこともあり、
仙如さんが主宰される月一回の瞑想レッスンへの
参加を決めた。
90分で理論と実践を行う。
理論は瞑想の歴史や苦、煩悩、悟りなど
仏教の教えや考え方等を学ぶ。
実践は、呼吸瞑想以外にも歩く瞑想や
食べる瞑想などユニークなものもある。
詳細はこちら↓
夜の瞑想会
それ以外に毎週木曜日の夜に60分の瞑想会が
開催されている。
こちらは、ストレッチ10分、スワイショウ5分、
瞑想40分、シェア5分と瞑想会らしい
カリキュラムである一方、
つまらなそう
退屈そう
きついに違いない
面倒
忙しい
寝るに決まっている
長時間出来るはずがない
などなど
やらない理由を言い訳に参加をせずにいた。
なぜ週一回の夜の瞑想会に参加することにしたのか
しかし、日曜日の瞑想レッスンに参加して
2年以上経過した頃、理論も繰り返し学んでいるし、
せっかく続けているのだから、月に1回くらいは
夜に参加してみようと参加表明をした。
月一のレッスンのみに甘んじて、夜の瞑想を
やらないことに対して、何となく後ろめたさを
感じていたように思う。
表明した以上、最低ノルマは参加しなければという
プレッシャーと、参加するつもりでいても、帰宅後
気分が乗らず、結局ビールなどを飲んだりしている
のだが、約束を守らなかったという罪悪感もあり、
継続的に参加するようになった。
それに、怠けた時ほどなぜか良くないことが
起こるのである。
そこから毎週続けてみようと思ったきっかけは、
週に一度の瞑想会を3年続けた方の感想を伺い、
心底羨ましい、その境地に自分もなりたい、
と思ったからに他ならない。
その方の感想はこちら↓
若干の進歩
毎週欠かさずとは言えないが、月に2~3回程度
参加するようになったが、相変わらずウトウト、
あくび連発、姿勢は崩れる、雑念グルグルで
何か効果があるか?と思うほど。
いわゆる迷走状態 笑
心の中では「呼吸を見つめるだけなんて退屈だ」
と思いながら参加していたと思う。
「参加することに意義がある」という気持ち
だけであった。
それでも続けていると15分程度なら
長いと感じなくなるから不思議である。
「継続は力なり」とは本当だ。
迷走→瞑想へ?!
そんなことが数ケ月続いたつい先日の瞑想会。
その日は、数日の間に起こった複数の出来事に
囚われており、考えても仕方がないことを
考え続け、堂々巡りになっていた状態。
瞑想で落ち着くことができるかも、という期待を
持って参加した。
(期待すること自体も「欲」なのだが)
仙如さんの誘導を聞きながら、呼吸に意識を向けて
いても、すぐにそれらの出来事に関することが
頭の中を駆け巡る。
その雑念に気づき、すぐに呼吸に戻ることを
なんとか繰り返しているうちに瞑想が終了。
とはいえほぼ雑念だっただろう。
そんな状態だったにも関わらず、
何が起こったかというと、
いつもは乱れる姿勢、あくびのオンパレードが
一切なかったのだ。
先生が感動していたくらいだ。
先生曰く、
雑念はあるのが当たり前。
人間は、昨日の後悔、明日の不安を考えてしまう
もので、「今」を生きていないことが常である。
と。
だから、雑念グルグルでもいい、その状態から、
ほんの一瞬でも「今ここ」に意識することを
繰り返すことで心身を良い状態に導けるのである。
結論
分かったことは2つ。
1つ目は、3年経過して、やっと「今ここ」に
目を向けるという意味が体感として得られたように
思うこと。
瞑想に上手い下手はないし、
出来ている出来ていないとジャッジする
ようなものでもない。
だから、
•今は色々と忙しく、うまくやれそうにない
からからやめておく。
•仕事や家庭の諸問題が落ち着いたらはじめる。
と多くの人は考えがちだがまるで逆である。
毎度、先生がおっしゃる通り、
忙しい、落ち着かない、悩みがあるから”こそ”
瞑想するのがいいのだ。
ただ、ただ、座るだけで良いのだと思う。
これが、3年かかって実感したことの2つ目である。
最後に
これをお読みいただき瞑想はつまらない、
効果が出るまでに時間がかかって大変だ、と
思われたかもしれない。
1人で継続することは至難の業。
皆でやるから続けられるし、参加者との交流も
楽しみの一つである。
ここで、先日、とある講演会のスピーカーが
おっしゃっていたことを引用して終わりにする。
最後までお読みいただきありがとうございました。