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母からの宿題~母の被爆体験を語る

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広島で被爆した母に育てられた被爆2世の私・安芸子 被爆体験の講話原稿を元にして、講話では語れないコトも書いてみました 全22話(いまのところ…)
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記事一覧

母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 番外編

番外編 ばあちゃんのいとこ  母の母、つまり私の祖母ですが、 その従弟がアメリカで暮らし…

安芸子
11日前

母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 最終話

22.最終話…たぶん 被団協がノーベル平和賞を受賞されました。 でも、なんだか他人事の気…

安芸子
12日前

母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 21

21.まだまだつづくおいおい話そうと思っていたこと 広島市の家族伝承者の認定を受けていない…

安芸子
13日前
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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 20

20.おいおい話そうと思っていたこと この「母からの宿題」を書き始めたとき、 私は諸事情…

安芸子
2週間前
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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 19

19.慰霊碑までの道 被爆体験を伝承していくことが、母からの宿題と思っておりましたが、 …

安芸子
2週間前
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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 18

18.被爆者援護法 NHKの朝ドラ「虎に翼」でも描かれていましたが、 被爆者援護法というもの…

安芸子
2週間前

母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 17

17.最期まで太陽の陽子さん 母が亡くなる前年、母の妹が亡くなりました。 そうです、つまみ食いをしようとして助かった叔母です。 この叔母と母と祖母の3人で、 よく集っては大笑いして楽しそうに過ごしていました。 正月やお盆に顔をあわせると、 必ず、この叔母が「うちらぁ、マンガじゃけぇ」なんて笑っていました。 サザエさん一家に負けないくらい愉快な一家だと言いたかったのでしょう。ともにつらい戦後の日々をおくった絆もあったはずです。 その叔母の通夜の席で、母は歩くことができなくな

母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 16

16.母 今年、2024年の1月、母は亡くなりました。 87歳でした。 実は、私は母と折り合いが…

安芸子
2週間前
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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 15

15.娘 さて、そんなイイ男である夫(どんなイイ男かは前回を)との間に、娘が一人います。 …

安芸子
2週間前
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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 14

14.夫 両親の出逢いは、ちょっとこそばゆい話題ですが、私も両親に負けないくらい運命の出…

安芸子
2週間前
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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 13

13.父 一昨年、母から体験を聴きとっていると、父が「わしの話もきいてくれ」と手記を出し…

安芸子
3週間前
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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 12

12.母が抱くアメリカへの感情 前回「これは母からの宿題だ」と述べましたが、それに気が付…

安芸子
3週間前
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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 11

11.二世への宿題 母は手記を残しています。 出版された冊子の中に収録され、国立追悼平和…

安芸子
3週間前
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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 10

10.見えないけれど見えたもの   まだまだ続く写真の話です。 『大やけどを負った母の姉を看病する祖母』を写した一枚。 その写真を撮った人と、私はお会いしたことがありました。 何度も、何度も。 そうと知らずに。   私・安芸子は、2のエピソードで紹介したアメリカのサマーキャンプから約10年後、広島と島根の県境にある過疎の町で暮らしていました。 ええ、アメリカに行ったり、田舎暮らしをしたり、さんざん好き放題に生きてきている私です。 二十代後半から七年間、邑智郡(読めますか?「お