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母からの宿題 ~母の被爆体験を語る~ 18

18.被爆者援護法

NHKの朝ドラ「虎に翼」でも描かれていましたが、
被爆者援護法というものがあります。

1957年(昭和32)制定の被爆者医療法
1968年(昭和43)制定の被爆者特別措置法
1995年(平成7)この2法が統合され、新たに原爆被爆者援護法が制定

当時、苦しみの中から、もがき、立ち上がり、
闘ってくださった先人たちのおかげで、
母は被爆者として生きるうえで、
必要な医療を適切に受けることができました。

母は87歳まで生き抜きました。
母の母は92歳。
被爆当時、母たちを助けにきてくれた母の祖父も90代まで健在でした。
高齢のDNAを持つ家系です。
逆に、戦地に出征して被爆していなかった母の父は、
60歳で亡くなりました。
癌でした。

被爆者である母たちが寿命を全うできたのは、
援護法のおかげです。
定期的に検診を受けることで、
なにかあれば、すぐに診察・治療してもらえました。
原爆とは無縁かもしれない病もあります。
それでも、心理的負担を軽くしてくれていたのは、
援護法です。
病気かもしれない。
治療が必要かもしれない。
お金がかかるかもしれない。
そんな負担を取り除いてくれていたのが
援護法です。
ありがたいです。

母は通院・入院することもありましたが、
必要最低限の費用ですみました。
最後も、救急搬送されたり、
施設でお世話になったり、
最期まで手厚く診ていただいたにも関わらず、
被爆者であることで、
医療や介護にかかわる費用も、
さらに、最期、お骨になるにも、
何割か支給していただけたのです。

白状すると金銭的には助かりました。
正直いうと心理的には申し訳なく感じています。

被爆2世の宿題は重みが増していくばかりです。

次回 【慰霊碑までの道】に つづく


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