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「学習する組織」のきほんの「き」 内省的な会話②

先のエントリーで紹介しようとしたことを、掻い摘みながらまとめてみれば、こんな内容だ(といいつつアタマの整理)。

 ・ 変化に真剣に取り組むなら内省(リフレクション)から始めよう
 ・ 私たちの思考などの習慣(メンタルモデル)は見えにくいが
 ・ その見えにくい習慣が不都合を起こしていることがある
 ・ そこで内省がないと、変化への取り組みの入口を間違える

実際、私たちのまわりを見渡せば、組織の変革や、医療、教育、行政の改革の話は本当にあふれていて、「〇〇には変化が必要だ!」というフレーズを耳にしない日はない。そして、数々の改革プロジェクトや変革プランが、失敗に終わっていることも同じくらいにたくさんある。そこにある盲点の話。

〇 変革・改革という言葉が見えなくするもの

私たちの多くは「変化」や「変革」という言葉、そのためのツールや手法に「目がくらんで」いて、自分のことが見えなくなっている状態かもしれない、と思うのだ。

自分の家族のことを考えてみると分かりやすい。もしも、家族の誰か(あえて父親としよう)が「我が家には変革が必要だ。コンサルタントを雇って計画を策定したから、明日から実行する」と言い始めたら、あなたはどう思うだろう。あるいは、あなたが、奥さんや旦那さんの変革プログラムを実施しようとしたら上手くいくだろうか。 多くの人が苦笑いや失笑で応えるはずだし、人によっては怒りを覚えるのも当然だろう。

身近な事例で考えれば、誰もが経験(失敗)から知っている。普通は、人が人を変えようとすると、望んでいた変化ではなく、問題が起きる。朝目覚めて「さあ、今日も変化させられたい」「改革されたい」と思って一日を始める人などいない。

ここに矛盾があるとは思わないだろうか。私たちは組織や教育の変革を語るときには、それを「変えよう」という言葉に違和感を覚えない。組織や教育、行政が変わるということは、必然的に「人(の行動や思考)が変わる」ことであるにもかかわらず。変化や変革の必要性を語るとき、私たちはある意味どこかで目がくらんでいるのではないだろうか。

〇 生きているシステム・生きていないシステム

ここでの困惑の要因のひとつが、生きているシステムと生きていないシステムの混同だ。仮に、私たちが機械の部品を取り換えようとしても問題は起こらない。しかし、人や組織のような生きたシステムを変えようとすると問題が起きる。私たち生きたシステム同士は、相互に影響を与え合うからだ。

私たちは、どこかで組織や企業を「機械」として認識している。そこに働きかける「私」が、「相手」に影響を与えることを見落としてしまう。企業の役員やコンサルタントによって考えつくされた最高の戦略の発表に対する一般的な反応が「ああ、また始まった(心の声)」だったとして、それは、私たちが相互に影響を与え合っているという関係性を無視しているからだ。

私たちの思考や行動の習慣は、組織の変化に取り組むとき、それが生きた人間のシステムであるにもかかわらず、まるで機械の部品を取り換えたり、組織図の箱を書き換えたり、プログラムを更新したりするようにあつかってしまう。これを無意識に行っていることが、変化に取り組むときの大きな落とし穴であり、ある意味、多くのトップダウンによる組織変革のプログラムは、はじめから不都合を引き起こすことを運命づけられている。

〇 会話を通じて、習慣に気付いていく

こうしたメンタルモデルが、よい組織をつくるとか、今とは違った「私の望む状態」を実現するための障害になっているとすれば、私たちは、無意識の習慣にどのように気付いていけばよいのだろう。

「目には目が見えない」のと同じように、自分の習慣的な思考を用いて、自分の習慣を知ることはできない。先のエントリーで、違う文化圏を訪ねてはじめて、自分の文化に気づく事例を紹介したが、私たちの無意識の習慣への気づきは、他者との出会いを通じて起きる。その媒介となるのが会話だ。

昨今、対話という言葉と対比されながら、不当な過小評価を受けることが多い(と私は感じている)会話だが、英語の「conversation」の語源は、「con」=「一緒に」+「conversari 」=「向きを変える」だ。会話を通じて、私とあなたは相互に影響を与え合い、共にこれまでと違う方を向くことができる。まるで2人のダンサーが、タイミングをそろえてターンするように、私たちは他者との会話を通じて共に変わるのだ。

ピーター・センゲからは、ドイツの偉人ゲーテが、会話を「人間の最も崇高な体験」だと呼んだと、どこかのワークショップで教わった(が、ググっても原典が見つからない)。ただ、私たちにとって、他者と出会い、言葉を通して思考や知識(ロゴス)を相互にやり取りしながら、内面に影響を与え合うことは、種として進化のための根源的な行為だ。

〇 組織の変化に取り組むことと「内省的な会話」

文化の話には、もうひとつポイントがある。それは、私たちは、自分が自然と受け容れている文化を、自ら創り出して、体現しているということだ。それぞれの組織の専門用語や特長的な言葉遣い、電話対応や服装のような、あらゆる部分が、私たちの習慣をかたちづくっている。

もし私がどこかの組織の変革に携わろうとしていて、その特定の組織に何年も所属しているとすれば、本当に高い確率で、私自身が、周囲に「今起きていること」で「変えたいと思っていること」に何らかのかたちで関わっている。しかし、私たちは、変化を求める一方で、変えようとしているモノに付いている自分自身の手形に気づかない。リフレクションから始めるのは、その自分自身の無意識の習慣に気付いていくためだ。

センゲの言葉はシンプルだ。「内省(リフレクション)とは私たち自身が現状に果たしている役割を洞察すること。これをよく考えると、ほとんどすべての深い変化のプロセスは、本当の内省の実践が存在するときにしか起こ得ないことに気付く」。

そして、センゲ自身の言いたかったことを「たった一言で表してくれる」という、チリの生物学者ウンベルト・マトゥラーナの名言をいつも引用する。センゲが本当に尊敬する先生の一人だが、その言葉がこれだ。

「ただ内省を通してのみ、私たちは歴史を変えるのだ (It is only through reflection that we change history.)」

無意識の習慣に盲目のまま従うならば、未来は今の延長にしか存在しない。目の前にある現実に自分がどう関わっているかに気付くことから、過去の延長ではない新しい現実を創り出せるのだと信じたい。ウンベルトの一文を紹介したいだけなのに、私だと、こんなに長くなる(溜息)。

以上、内省的な会話についてでした。

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