幸せは半熟卵のお味
「人の生きる目的は、幸せになることなんだよね」
3年ほど前だろうか。いつも聴いているラジオで、ある声優さんが「幸福願望」について話されていたのを、今もぼんやりと覚えている。彼は「幸福願望」という言葉を尊敬する先輩から学んだのだと、柔らかい声で話していた。
演じるときには、まずその役がどんな「幸福願望」を持っているか考えるようにしている。善人だろうと悪人だろうと、人は「幸せ」に向かって生きているのだから――……。
というようなニュアンスのことを聞きながら、私は部屋に掃除機をかけていた。ああ、これは小説のキャラクターづくりで意識してみてもいいかも。登場人物がどんな幸福願望を持っているか考えてみよう――……と、思いついたときだった。掃除機を動かす手が止まった。
私は?
私は一体どんな幸福願望を持っているのだろうか?
それに向かって、「今」を生きられているのだろうか。
いや、っていうか、どんな状態になれば「私は幸せ」だと言えるんだろう。己の幸せもわからないのに、キャラクターの幸せなんて考えられるわけがないような気がしてきた。
幸せって、なんだっけ。
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「卵、うまー!!」
会社のイベントホールに、私の歓喜の声が響いた。
ぷるぷるの白身を割ってあふれ出た黄身が、ローストポークの山を流れていく。黄身のかかったお肉で白米を包んで、二口目を口に運んだ。あのとき見送った半熟卵が、こんなにもおいしかったなんて。やさしい味に頬がとろけそうになる。空腹の胃袋は、じわじわと満たされていった。
その日は、午前中からイベントのリハーサルをしていた。約100名を収容できるだだっぴろいイベントホールには、チームの先輩方と私だけ。私は7月からこのチームに加わったので、イベントの準備は今回が初めてだった。
リハーサルが一段落ついて、ランチ休憩をとる。お弁当を買ってきてイベントホールで食べようか、と先輩と相談した。会社はオフィス街に位置している。午前11時を過ぎると、至るところにキッチンカーがあらわれるのだ。
道路を挟んだ向かい側のオフィスビルの入り口に、キッチンカーが2台止まっている。一台はタイ料理。カオマンガイの写真入りの垂れ幕がトラックにぶら下がっていた。もう一台は肉料理で、立て看板によるとローストポーク丼が人気メニューらしい。
肉料理のキッチンカーには、以前も先輩と足を運んだことがあった。そのときは、ローストポークとチキンのハーフ&ハーフの丼ぶりをチョイスした。先輩はそれに半熟卵をトッピングしていたけれど、私はケチった。でも、そのあとで先輩がおいしそうに半熟卵を食べているのを見て、出し惜しんだことを後悔したのだった。
あのときの後悔を晴らすため、私は前回と同じメニューを注文し、+80円で半熟卵をトッピングしてもらった。できたてホヤホヤの温かいお弁当を持って、意気揚々とイベントホールに戻った。
「玄川さんは、幸せなんですね」
先輩は柔和な笑みを浮かべて、半熟卵のかかったローストポークを味わう私を見ていた。一緒にお弁当を食べていた他の先輩たちも、私の喜びの声にクスクスと笑っている。
うわ、恥ずかしい。食いしん坊みたいに思われてる? おいしそうに食べている様子を微笑ましく見守ってもらうような年齢じゃないんだけど。親みたいな表情で見ないでくれ。
「ごはんをおいしいと思えることは、幸せなことなんですよ」
私の羞恥心が伝わったのか、先輩が続けた。
「何かの本で読んだんですけど、現代人って食事に集中できないほど忙しいんですって。ほら、ごはんを食べてる間もテレビやスマホを見ている人って多いじゃないですか。あと、仕事や家庭のタスクを考えながら食事をすることもありますよね。そういうのって、今・此処に意識がないってことらしいですよ。
だから、目の前のごはんをおいしいと思える玄川さんは、今・此処に意識を持てている。それってすごく幸せなことなんですよ」
ただごはんを食べているだけなのに、なぜそんな壮大な話に……?? 先輩があまりにも真剣な顔つきで話すものだから、おもしろくなって他の先輩たちと吹き出して笑ってしまった。
でも、「幸せなんですね」と言ってもらえるのは、悪い気がしなかった。ごはんがおいしいと思えることは、たしかに幸せだ。
そうか、私はすでに幸せだったのか。
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とはいえ、私だって常にごはんを味わって食べているわけではない。
家で食事をするときは、大体バラエティ番組か録り溜めしているテレビアニメを流している。しかも、私は普段料理をしない。夫の作る料理は味わって食べるけれど、自分で適当に茹でたパスタの味なんてどうでもいいと思っている。子どもの頃あまりごはんが食べられなかったせいか、大人になってからも食事に頓着しなくなった。
そういえば、泣きながらごはんを食べていたときもあったっけ。一人、ランチ休憩で外に出ると、途端に現実が押し寄せてくるのだ。将来のこと、お金のこと、創作活動のこと、友達のこと、仕事のこと。どうにもうまく運ばない現実のことを考えると、思い詰めてしまって涙が出てくる。こういうのを、今・此処に意識がないっていうのだろうか。そのときどこで何を食べて、どんな味がしたのかなんて、あまり思い出せない。
仕事の帰り道も、そうだ。ままならない現実のことばかり考えながら、もくもくと歩いている。そうして、思うのだ。
私は一体、どうなれば幸せなんだろう、と。
どんな仕事をし、どんな肩書をもち、どれくらいスキのボタンを押してもらって、どれくらいフォロワーがいれば、私は幸せだと思えるんだろう。商店街の角を曲がる。眩しいライトを点けた自転車が私を照らしてすれ違った。たくさんのお金を稼ぎ、本を出して、毎日文章を書く生活ができたら、私は心から幸せだと明言できるようになるんだろうか。でも、それっていつ? それが叶わなかったら、幸せにはなれないの? 幸せになれなかったとしたら、この世に生まれた価値ってあるんだろうか。
「ごはんをおいしいと思えることは、幸せなことなんですよ」
ぐるぐると取り留めのないことを考えていると、先輩の言葉が降ってきて、思考を遮断した。そうだ、ごはん。ごはんをおいしいと思えることが、幸せなんだ。ひどく些細なことのように感じるけれど、そうじゃない。私がなんだか、ものすごく遠いところに幸せを置いてしまっただけなのだ。
今・此処に意識を戻そう。ずっと住みたかった憧れの街で、好きな人と暮らしている。温かいお風呂にゆっくりと浸かれる。スマホでテニプリのゲームができる。楽しみにしているアニメがある。冷蔵庫にハーゲンダッツのアイスがある。家族や友達が、健康で安心安全に暮らしている。仕事がある。職場の先輩たちが私の夢を応援してくれている。書きたいことを、思いっきり書ける場所がある。
夢を叶えることは、私の「幸福願望」の一つであるとは思う。けれど、「それが叶わなかったら幸せになれない」というわけではないのだ。夢への挑戦はそれとして、幸せは今・此処に。遠くにあるものを近くに引き寄せることだけが、幸せなんじゃない。そのことを、きちんと頭と心に刻み、記しておこう。
マンションの前にたどり着いた。ふと顔を上げる。濃紺の夜空を背景に、水色の光を放つ東京スカイツリーが堂々とそびえたっていた。ああ、きれいだなあ。
明日は、オフィスの前にあのキッチンカーがやってくる。また、そこのお弁当を食べよう。もちろん、+80円で半熟卵のトッピングをつけて。
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