考えすぎる人間でよかった
「考えすぎだって!」
そういわれることが日常茶飯事な人生を送ってきた。
考えたくもないのにぐるぐる考えてしまう。
それはまるで、思考という名の魔物が私の頭からつま先まで支配するような感覚。
逃げようにも逃げられなくて、どんどん苦しくなっていき、思考に終わりは見えず、ハマったが最後。
散々苦しんだあと、魔物はそんな私をあざ笑って姿を消す。
そして、やっといなくなったと安心していたら、またふらっと現れるのだ。
最近どう?って、昔馴染みのテンションで。
そんなヤツとの生活も、もう二十数年だ。
慣れてきたものの今でも、ヤツの存在が疎ましくてしょうがない。
「どうすればいなくなってくれるのか。」
そんな無駄なことも追加で考える始末だった。
だけど、noteに出会ってから、いや、noteを通じて“書くこと”と出会ってから、ヤツの様子が変わってきた気がする。
私専属の魔物は今、noteのネタにされることが嬉しいらしい。
余計なことも、些細なことも、考えすぎる人間には、noteがピッタリだったようで、
初めて好きなことだと心から言えるものが出来た気がするのだ。
ヤツとの生活で生まれて初めて、傍にいてよかったかも、と思えた。
ヤツが存在し続ける限り私は、noteを続けられる、と。
人それぞれ、魔物は姿かたちを変え、影に隠れながら棲みついているに違いない。そして、その存在自体を亡き者にするのは難しい。
だけど、うまく付き合える方法さえ見つかれば、意外と話の分かるいいヤツなのかも知れない。