【学びの城をつくる.6】自分を知るだけじゃ、半分で……
「最も近い隣人である自分のことを、どう思っていますか?」
おはようございます、AKIです。
最近、Twitterにてこんな投稿が。
LearnTernの記事のひとつで、とても力を入れて書いた記事です。
これまでも何回かお褒めの言葉を頂いていたのですが、久しぶりなので結構嬉しかったりします。
メタ認知というのは、「一段上の(メタな)視点から自分を見て、コントロールする」みたいなプロセスのことです。
Castle of LearnTernは自己調整学習という概念を踏襲しているのですが、そのベースになってくるのがメタ認知です。
興味があれば、読んでみてください。
このツイートを見たとき、嬉しいという感情と同時に、ある出来事を思い出しました。
先日、会社の先輩たちと会ったときのことです。
「〇〇くんは、自己認識がすごいよね」
自分のことは知っているのかもしれない、気に入らないやつだから
それは、一個上の先輩が用意してくれたゲームをやっていてのことだった。
一人の質問に対して、他の全員が答えを紙に書く。質問者はそれを当てることができればポイント獲得だ。
全員(僕以外の全員)、盛り上げ上手でゲームは非常に盛り上がった。
ゲーム中、隣に座っていた先輩が、僕が答えを書き始めるのが早いことを指摘した。
それを聞いた別の先輩が言ったのが、
「〇〇くんは、自己認識がすごいよね」
詳しくは覚えていないが、そんな感じの内容だった。
確かに僕は、自分をよく観察しているのだと思う。
なぜなんだろう、と考えた。
すぐに答えは浮かんでくる(これも自己認識だろうか)。
――僕は、自分が嫌いなのだ。
正確に言うなら、今の自分が嫌いなのだ。
嫌いだからこそ、目につく。よく考えるし、知る。
嫌いと無関心は対極に位置している。
そして誰かを嫌いかもと思ったとき、僕は相手のいいところを見つけるようにしている。
そもそも誰かを嫌いだと思うのは非常にしんどい。
いいところを見つければ、相手のことを嫌いだと思わなくなるかもしれない。
そう思って習慣にした結果、今のところ、嫌いな人間は存在しない。
あ、自分を除いて、誰もいない。
自分のいいところも見つけるようにしているが、やはりずっと一緒にいると嫌いなところのほうが目につくものだ。
そんなこんなで、僕は自分ことをよく観察している。
しかし、だからメタ認知に優れているかというそうでもないのだ。
メタ認知能力は「メタ認知的知識」と「メタ認知的技能」に分かれ、さらに技能は「モニタリング」と「コントロール」に分かれる。
自分を知ることは「モニタリング」だ。
「コントロール」によって自分を変えることができなければ、意味がない。
だから僕は、Castle of LearnTernをつくる。
学びの城。変化を求める者に、変える力を与える場所だ。
がんばる
AKI
(備忘メモ)
明日のネタを思いついた。
ガラクタの城について。素材のはなしとか。
次回予告風備忘メモ。
学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。