私にできること
2024年が明け、黄昏時に長い間、揺れを感じた。
めったに鳴ることのない玄関先のウインドウチャイムがバラバラとぶつかって鳴る。
翌日にも痛ましいニュースが飛び込んできた。
動揺してしまう方も多かったのではなかろうか。
2010年に東北旅行にいった時だった。
温泉に浸かっていた時、見知らぬご婦人同士のおしゃべりがきこえてきた。
「奥さんどっから?」
「気仙沼から」
「あー気仙沼」
「新潟の地震あって、親戚たよって気仙沼に避難してきたのよ・・・」
「それは大変だったでしょ」
「最初の1年くらいは、体調崩したりしたんだけどやっと旅行にこれるようになったからお父さんとふたりできてるのよ」
そんな会話に微笑ましく思いながら「温泉にこれるまでになって良かった」と心の中でつぶやいた。
その翌年、震災が東北を襲った。
東京に住んでいた私たちは同じ職場で働いていたが、老朽化したビルは軋んで音を立て壁の亀裂は、ところどころ白い粉状になって降ってきた。
ちょうど午後の一番忙しい時間帯。私はギリギリまで電話を受けていた。
何度か揺れて危険だということでいったん外へと指示が出る。手には赤いサインペンを握りしめたままだった。
地下鉄は止まり、帰る手段を失った私たちは、赤い渋滞の車列。サイレンが鳴りやまない街。魚群のような多くの人波に混ざって家路を急ぎ、夜通し歩いた。
履いていた靴がパンプスでなかったのは幸いだった。
とはいえ、足が痛くて何度か立ち止まる。
帰宅した時、最初に目に入ったのは、数センチ前にせり出していた冷蔵庫。
リビングに入って愛犬の名を何度も呼ぶも姿が見えない。
のぞいたベッドの下に怯えながら小さく丸まっていた。
さぞ怖かったことだろう。
その日は泥のように眠った。
今でも金曜日がくるとその時のことを思い出す。
しばらくたって、何ができるだろうと考え、ふたりで話し合った。
寄付型のクラウドファンディングがあることを知り、震災被害に見舞われたたいくつかの個人商店や地元で愛されるコーヒーショップへ支援をした。
コーヒーショップは、焙煎機を購入し、ようやく軌道に乗って5年ほど経った頃だった。コーヒー豆が届いた。その箱を見ながら嬉しくて涙が込み上げた。
先日の地震の時も色々な思いがよぎり、
私もここ数日なかなか寝付けなかった。
発達障害は刺激に弱く、トラウマになりやすい。衝撃的な出来事が鮮明に記憶に残り続ける。
そのことがあるので、わが家にはテレビはなく、普段は極力ネガティブな情報はいれないようにしている。
なるべく工夫をして暮らしても、大きな災害は自然と耳に入ってくる。
1月…あの時も1月だった…と、いまだに崩れ落ちた高速道路の断崖にバスが寸前で止まっている映像とヘリコプターのプロペラ音が脳裏で繰り返される。
その分、意識をべつに向ける。いまの私にできることを考え、淡々と暮らす。
私は働いていないため収入はない。けれど、できることをしたい。
ちょうど、昨年末に少しずつフリマサイトに出品した売上金やポイントがある。そのお金を寄付させていただこうと思った。(メルカリから日本財団を通じて)
また、他に自治体へダイレクトに寄付できる方法にふるさと納税という形がある。
夫と話してこの形で微力ながら寄付をさせていただいた。
わが家は、楽天市場を利用している。
(さとふるやANA等、ふるさと納税サイトは他にもたくさんあります)
楽天市場のクラッチ募金
こちらの方法なら楽天ポイント、クレカ、楽天銀行振込みという形で寄付ができます。
そして、眠れない時、私は畠山美由紀さんのこの朗読と曲を聴いている。
少しでもあなたが穏やかな時間を過ごし、少しでも眠れますように。
畠山美由紀さんは気仙沼のご出身で「わが美しき故郷よ」は、震災のあった年の2011年12月にリリースされた曲です。
松島で遊覧船に並走する鴎にかっぱえびせんをあげたこと、塩竈神社に御参りして眼下に広がる島なみの陽の光が反射してきらきらとやさしく美しい海原だった時のことを思い出す。
自分を責めたりすることなく、いつもと変わらずに暮らすこと。経済をまわすことは、巡り巡ってやがて未来へつながっていくと信じてやまない。
末文になりましたが、震災にあわれた方々へお見舞い申し上げます。