【原作】#7 置かれた場所で咲く花は 第七章 増殖
前回までのお話 ↓
病院で赤ちゃんが泣いている。
東欧の紛争地域のとある地区。ホールディングスによる北露連合を後ろ盾にした武装勢力の掃討作戦の一環……。作戦は成功しつつある。作戦は次のステージへ。追撃戦へ移行……のはずだった。
十二、三のプラスチックケースが並ぶ。クベースと呼ばれる保育器だ。中身は言うまでもなく、新生児。泣いている。赤ちゃんらしく。しかし、彼らのメッセージはいつもより深刻であった。
爆弾が仕掛けられている。
新生児の腹にはその身を隠すほどの四角いオブジェ。プラスチック爆弾だ。信管が爆弾の中に深く埋め込まれ、その先に延びるコードが赤ちゃんの首に幾重にも巻き付いている。コードの先には保育器の端に放り投げられたタイマーに。
カウントダウン。残り五分もない。
「解除にはどのくらいかかる?」
「簡単な造りです。三分もあれば……」兵士の一人が答える、爆発物のエキスパート。
「子供は何人いる?」とパティ。十人以上。一人ずつ解除作業をしては間に合わない。爆発してしまえば、赤子はもちろん、部隊全員死に追い込まれる。
「コードの端と端を切ってしまえば」隊員の一人が言う。「簡単な造りなんだろう?」
全員の顔が部隊長へ向けられる。
「どうなんだ?」
「分かりません。ただ爆薬の中にはフェイクも交じっています。この赤ん坊に巻き付いているのがそうです。誤ったコードを切ってしまうと……」
「そうでないのもあるのか? ただコードを切ればいいものとそうでないものが混在しているのか?」
「はい。となりの子供がそうです」そう言ってコードを切った。「この子は解除」
「判別までの時間は……」
「同じことを……」パティが言う。怒鳴るほどの大声ではないが、ハッキリと誰にでも聞こえるように。「決断しろ、隊長」
「何をだ?」
「どのガキを助けて、どのガキを見捨てるか、だ。時間がないから全員を助けるのは無理だ。早くしろ。このままじゃ部隊は全滅だ」お前は手を動かせ。爆弾を処理している兵士に命令する。階級は彼女が一番下、指揮権は彼女にはない。
「貴様、俺に命令するのか」と隊長。
「下らんプライドを満足させたいのなら後にしていただきたい。タイマーを見ろ」再度、決断を促す。残り時間はすでに二分を切っている。
「どうします、隊長。本当に時間が……」
「口を動かす前に手を動かせ」パティは今度こそ怒鳴りつける。部隊長を含め、みな互いの顔を見渡している。思考停止。こういった場合の訓練は受けていない。
パティは窓を開けた。そして保育器から赤ちゃんを取り出し、放り投げた。一人、二人、三人……。泣き声が宙に飛ぶ。
窓から鈍い音が聞こえると、泣き声が止んだ。
「何度も言わせるな」あっけにとられて、手を止めた兵士へ向けて。
タイムリミットまで、あと三十秒を切った。そして、十秒。
「伏せろ」パティは選別された赤子を奪い取って床に伏せた。
時間だ。しかし、空気は澄んでいた。
「貴様。爆発などしないではないか」部隊長がいきり立つ。
次の瞬間、爆風が窓を吹き飛ばした。
部隊長は反対側の壁に打ち付けられた。熱風に吹き飛ばされたガラスや窓枠の破片を浴びて、そのまま死んだ。
パティは無言で、また激しく泣きわめく赤ちゃんを同僚の兵士に渡す。命の選別を潜り抜けた幸運の子。
「どこへ行くんだ?」処理を行っていた兵士が訪ねた。
「決まっている。どいつもこいつもこれに関わったヤツらは全員ぶち殺す」
パティは笑みを浮かべながら、病院を後にした。
サバの塩焼き。ひじきの煮物。豆腐の味噌汁。ライスは小。数年前から健康に気を使い、バランスの良い食事を心がけている。そして何よりも量。腹八分目。食べすぎは良くない。しかしだ。塩分が多い。血圧が高いのに。
日下部は『めし処 おひつキッチン』の中にいる。行きつけの店だ。入口に積まれたトレーを取り、棚に並んだおかずをのせてレジにて清算。小難しいパネルの操作も必要としない。その後カウンターテーブルに座り食事をする。洋食、和食とバラエティに富み、独自のルートで安い食材を手に入れているせいか、値段も手ごろだ。まさに庶民の味方。
散々な一日だった。
オファーを着実にこなしたのにも関わらず、クライアントから〝ダメ出し〟をくらった。
忠誠を尽くしていた会社に突然リストラを宣告されたようなものだ。ウン十年間、仕事一筋、会社のため真面目に働いてきたのに……。しかも退職金などの慰労金は出ず、己の存在意義どころか命まで狙われる始末。
酔っぱらっていき散らした中年サラリーマンをしこたまぶん殴って一昼夜。ストレスと疲労で困憊だ。だが、一向に眠気は襲ってこない。目が冴えている。
多分、それ以上に興奮しているのだろう。何に対して? さあな。ゆっくり考えようじゃないか。腹も減っているし。
隣に誰かが座った。横目で金髪がちらりと映る。外国人の女性のようだ。選んだかけそばを器用に箸をあやつり、すすっている。
「値段の割にはましな味だな」パティ・マーリンだった。
「企業努力のたまものだよ……。あんたは日本通か? 言葉から何やら、すっかり溶け込んでいるな」
「ドローンネットから取り込めば誰でもできる」
パティは日下部に目を合わせず、また一口そばをすすると、自身のトレーにのせたさばの味噌煮に箸をつけた。味噌の香りがほんのり流れてくる。
「最新機器とやらの扱い方が苦手でね。おじさんだけに」
「向上心のない者のよくある言い訳だな……。それは温めなくていいのか?」
「俺のサバか?」電子レンジの使用もまたセルフ。だがしかし、
「最近、レンジが買い換えたらしくてな」
「そんなこともできないのか。触ってみれば分かるだろう」パティは食器を見つめながら言った。
「まごまごしているうちに、順番待ちの列ができたんでね」気まずくなってね。ため息を吐くように言った。背中を丸めて箸をつつく様はどこか哀愁を醸し出していた。
「貸せ」パティが皿を取り上げ、レンジのコーナーへ。
数十秒後、食いかけのサバの塩焼きは湯気を立てて戻ってきた。無言で乱暴に放り投げるように、日下部の前に置く。
「すまんな……。さすがだな。若い子は違う」
「……バカにしているのか?」パティはこちらを見向きもせず、食事を再開する。
「俺を処分しないのか」日下部は訊いた。やはり食事に集中しながら。あんたなら簡単だろう。戦闘能力が違う。すぐに殺せる。
「そうするのは簡単にできるからな。……これは何だ?」パティは、名刺状の紙片をテーブルを滑らせるように投げつけた。
「何だ。使わなかったのか」紙片の片側にはウォレット処理に使うQRコード、その隣にはポテトコロッケ一つサービスのフォントと揚げたてのそれの写真が載っていた。クーポン券だ。
「創業祭特別クーポン、明日までだぞ」
「別に食いたくないな」
「そうか、残念だ」
「これが〝お前〟なのか? 証拠保管室にわざわざ寄こしたのは、お前の最後の晩餐に付き合わせるために……」ぴったりじゃないか。こんな安っぽい店で……。
「まあそう言うなよ。カタギの皆さんの胃袋を満たしてきたんだから。そのクーポンだって、現金割引も受け付けてくれる」
カタギ? 脳内の日本語辞書アプリが起動する。一般人のことか。
「なるほど、だからこれを残していったのか」パティはクーポンと同じように目の前に小さな黒い筒を転がした。サイレンサーだ。
「これは何の謎かけだ?」この証拠保管室に残されていたこのサイレンサー。拳銃と組み合わせて使うそれには本体が無かった。本体はおそらく日下部が持っている。問題はなぜ残したのか、だ。使うつもりがない。発砲が発覚されづらくする道具を〝捨てる〟のはなぜ?
「カタギの皆さんには出来るだけ迷惑を掛けたくないが、仕方のない時もある」日下部は食事を終えた。セルフサービスのため自分で所定の食器棚に戻す。恐れ入ります。見た目、学童児童が二人ぐらい抱えていそうな、プラスサイズの女性だった。右の胸のプレートに鈴木と記載されていた。店員の反射的だが、心底そのように聞こえる感じの声。情熱をもった人間、腹を空かせている子供のために働いているのか、特定のプログラムを打ちこまれた機械、アンドロイドが機能しているのか。見た目や所作では分からない。
「悲しい事だが、運のない人間、弱い人間は生き残れない世の中だ」コップを二つ、お冷を入れて持ってきた。麦茶のほうが良かったかな。パティは無視した。
いざとなったら、故意に銃を撃ち、一般人に刺激を与える。
その結果どうなる? 騒ぎを与えてカオスを得る。通報するだけなら、まだましだ。そこには理性がある。パニックに陥った人間が何をしでかすか……。
その混乱をこの男は利用するつもりなのだろうか。民間人を盾にして。
嫌な想像が脳裏を駆け巡る。こういう仕事をしていると、目立つのは厳禁だ。カタギとやらに大っぴらに知られては今後の仕事に影響がある。
「ところでお前さん、俺の場所がよく分かったな」
「あんたが誘い込んだんじゃないのか? クーポンで。ここは〝次の戦場〟か?」警察署内で言った。他にも……。
「お仕事するのか、それとも俺の提案を受け入れてくれるのか」
「提案? ふざけたことを。あんたがここにいることが分かったのは、あんたの行動パターンを検索したからだ。ホールディングスのエージェントネットワークを使ってな」
「たいしたものだな、俺には使い方よく分からないヤツだ」あのクラゲドローン……。
「いつも仕事はどうしてる?」
「誰かに教えてもらっているさ。もう一度聞くけど、今お仕事するのか?」
「大騒ぎになるのは、な」
「同感だ。だが、今ここで何かをしなければならないだろう? お互いに」
「その通り」パティは同意する。
「お仕事をする前に、あんたに聞きたいことがある」
「何だ? 俺に答えられることならなんでもいいぜ」
「あんた、コッペリアだろう。ホールディングスの。人間じゃないな」
「そうはならんやろ。何じゃそれは。人間じゃないのはお前さんじゃないのか。あれだけの数を一人でな」それに、やんないぜ、普通。目を抉るとか。いくら依頼でもな。
「私はそのリクエストに賛同した。クズどもにこの素晴らしい世界を見る資格はない」
「見せてやれよ。心が洗われて改心するかもしれないぜ。出家するとか」
「早く次の依頼を教えてほしい。私もまた始末されるようだが、その理由も」
「話を聞いているのか。お前さんが始末される理由は分からん、一緒に探ろうとは言ったつもりだが」
「署にいた刑事のコッペリアはどうやって表に出てきた」
「銃で撃ってペルソナが剥がれた……。で、俺を殺すの?」
「それが仕事だからな……。だが、完全に殺し、いや、壊してしまったら、次のお仕事に支障が出るかもしれん」それにだ。もう武器がない。持ってきたキャリーバックは空で、現場に置いてきた。コッペリアには依頼に応じたものを調達する仕事も含まれている。手持ちの武器は小口径の拳銃のみ。予備の弾はもう使い果たした。何とかホールディングスと連絡を取り手配しなければならないのだが、連絡が取れなくなった。
「真面目だな」
「今できることに全力を尽くしているだけだ」
「それはいい心がけだ。さすがは俺の〝娘〟」
「養子縁組をした覚えはないし、今後もあんたを〝パパ〟と呼ぶことはない」
「つれないね……。もっと真実味のある根拠はあるの?」
「いくらホールディングスのエージェント情報を検索しても、あんたの名前は出てこなかった」
「そりゃ、俺のような極東の田舎町の歳を取ったエージェントのザコ仕事になんか興味なんかないだろう」
「花咲トメ子の経歴は参照できるのにか」
「パチンコ狂いのババアか」つい最近、日下部が始末した老婆。
「そうだ、ヤクのようなブツを数百メートル運ぶ、この場合は移すだけで小銭を稼いでいた女。エージェントの仕事はそれしかしていない」
「そんなヤツでも管理されているのに、お前は、か」
「そうだな。とにかくあんたの経歴に関しては一切不明だ。これは先にあんたにメッセージを伝えた刑事と共通している」
「おやおや。俺は機械だったのか。だが、それなら何で俺は処分の対象となっているんだ」スイッチ切れば一発じゃないか。機械なら簡単にことが済む。
「故障でもしたんじゃないのか」
「俺は欠陥品なのか」
「私が警察署に着く前にホールディングスから来た依頼が、〝首を刎ねろ〟だ」
「滅茶苦茶だな。ホールディングス」
「首を回収して故障個所でも調べるつもりなんじゃないか」
「エージェントとコッペリアの二重人格。信じがたいな。今までそんな記憶はない」
「機密保持のため、記憶は別々のメモリに保存しているのではないのか。あんたは記憶あるのかエージェントとして活躍した華々しい記憶が」思い出してみろよ。
「あんまり思い出せないな。ルーチンワークだからな、俺の人生」
「安いもんだな。だがそう卑下する必要もない。安い身体にそうそう手の込んだ思い出は必要ない、というのがホールディングスの判断なのだろう」
「あんたがそう言うならそうかもしれないな。俺の安っぽい人生にも納得がいく」しかしなと日下部は言った。
「あんたが始末される理由も俺と同じかもしれないぜ」
「私がコッペリアだというのか?」パティの口角が上がるが、すぐに元に不愛想な本来の表情に戻る。
「あんたこそ、コッペリアじゃないのか」
「私は人間だ」
「そんなものは別にどうでもいい。問題なのは〝俺たち〟が始末されるのは間違いないということだ」
「それがあんたの言う〝賭け〟のことか」
「さあ。そろそろ始めようじゃないか」
「ここでか?」〝試合〟とやらを?
「それは向こう次第」
何を言っている? パティがそう訊く前に、日下部は言った。
「食器を棚に戻すついでに水をもう一杯持ってきてくれ」そして小声で、その水を俺にかぶせろ。思いっきりな。
「分かったよ」この男には何か策があるらしい。信用する根拠はないが。乗ってみるのも面白い。何も提案しないでぐずぐずしているクズよりはましだ。
パティは食器を返却し、店内を振り返り給水機を探す。新たなコップで水を汲み、日下部の下へ。そして言われたままの通り、そうした。
「おい姉ちゃん何してくれてんだ」水を掛けられた日下部は、ヤクザさながらイキり散らしパティに組み付いた。パティの腹のあたりに何かが当たる。冷たく硬い金属の感触。銃口。
パティはテーブルに押し付けられた。
見たか。と小声で日下部は言った。
「見た」押さえつけられたままパティは答える。
見張られている。ガラス張りの店内を凝視している複数の視線。その先は自分たちへ。その元はいずれもパーカーのフードを深く被った人物。
「見張り役か」とパティ。「ホールディングスの」
「それだけだといいんだがな。俺目当てではないだろう。あんたがいるからな」
「私に向けての刺客か」
フードを被った者たちが少しずつ、さりげなく距離を詰めている。その数、四。
「決断しろ」と日下部はささやいた。「今なら奇襲をかけられる」
「お客さん、落ち着いて」店員の鈴木さんが二人に声を掛け、こちらに向かってくる。他に店内には十人ほど客がいる。彼らの視線は全てこちらに集中している。覆いかぶさった日下部を陰にして、さりげなく外の様子を伺う。フードがいずれもこちらに近づいている。
「普通、見張りはめったに動かん……。来るぞ」これを使え。日下部は銃口を自分に向け、拳銃をこちらに渡した。
「四十四口径のデカイ銃だ。保管室からくすねてきたが俺には扱えない。さっきのサイレンサーはこれのものだ。あんたの腕ならヤツらに気付かれずにガラス越しでも仕留めることができるかも」
「できなかったら?」
「第二発。それでもダメならカタギを盾にして銃撃戦になる。やつらはカタギを撃てない。できるならすでにそうしている。俺たちが有利な点はそこ」決断しろ。日下部はもう一度そう言い、笑った。警察署の時と同じ種類のものだ。
確証がない。ただの被害妄想。あるいははったりか? 何をするつもりか分からんが、これはコイツの策の可能性が高い。だが——。
「お客さん、大丈夫ですか」と鈴木さん。
パティは日下部を押しのけ、テーブルの上に立った。転がしたサイレンサーを見つける。それには目をくれず、天井に向けて一発撃った。
私を試していたのか?
私がどういった種類の人間かを調べるために。そのための伏線がこのサイレンサーか。あいつらが敵かどうかはあまり意味がなかったようだ。
「早く出ていきな。ここは修羅場になるかもしれん」日下部はゆっくりと起き上がる。「俺の娘がそう言っている」さあ、鈴木さんも早く。
店内の客は出入り口に殺到、パニックにはなっていたようだが、人数も少ないせいかけが人も出ることなく散り散りに去っていった。鈴木さんは、店内に客が残っていないか、確認してから外に出た。
「さすがだね」鈴木さんのプロ意識に感心しながら、外へ出て行った鈴木さんに向けて手を振った。
「あんたもな」日下部に銃を向ける。「私を巻き込みやがって」
「色々言いたいことがあるのは分かるが、時間がないぞ」見渡すとフードが三つしか見えない。
「多分、裏口に回ったんだろう」くぐもった声の日下部はいつのまに厨房の中にいた。
「ここ、飯はガスで炊くんだよ」
「何をするつもりだ?」
「ちょっと小細工」
日下部はガスコンロからホースを引きちぎった。ガスが漏れ、警報機が鳴る。
「爆発させるつもりか。しかし、着火装置はどうする?」できたとしても、そんなにタイミング良く……。
「爆発なんかしなくてもいい」
「その可能性がある、とだけ匂わせるわけか」
「そういうこと。さて、問題はこれからだ」
「裏口はどこに繋がっている?」
「狭い小路だよ。交差するのがやっとの換気扇が面しているところだから、壁は油まみれ」
「結構じゃないか。どれだけの数が来ようとも、そこなら一対一で戦える」
「そうか。では俺が囮になる。組み付いたところで、一発撃って逃げよう」
「非力なあんたでうまい具合に抑えられるのか。囮になるのは私だ」パティは銃を日下部に返した。「あんたがとどめを刺せ」
「俺は撃てないぞ」
「嘘をつけ、一発ぐらい両手で構えれば撃てるだろう。……試すようなことばかりしやがって」裏口はどこだ?
「こっちだよ」
パティは扉を蹴破る。予想通り、フードを被った者が一人、こちらに向かってくる。小柄なヤツだ。パティと同じくらいの体格。パーカーのポケットから、黒い筒とサブマシンガンを取り出した。瞬時に取り付け、引き金を引くフード。扉を軽くしめ、隙間から様子を、隙を探る。
フードが換気扇に顔を向けた。〝ほんのりと香る〟ガスの匂い。プロパンガスにはガス漏れ時、すぐに気づくよう独特の匂いを付加している。そして、爆発の可能性に……。
十分だ。パティは扉から飛び出しフードに組み付く。サブマシンガンを払いのけ、壁に押し付けた。
日下部は慌てず、ゆっくりとフードに近づき、こめかみに銃口を向けてそのまま引き金を引いた。フードは壁に弧を描くように倒れた。
「何とか撃てたね」反動を何とか抑えながら、パティに声を掛ける。
「あんたの言っていたこと、一理あるようだ」パティは倒れたフードをめくってそう言った。
フードの中からパティが出てきた。少女の面影を残した瓜二つ。
「これは私だ。アンドロイドだ。私の量産型? いや、私こそが量産型なのか。私は機械か? 人間ではなかったのか?」
「知らんよ。それはあんたが処理することだ」
プスプス音をたてながら、頭から黒煙を出すパティもどき……。
劇場……。増殖……。統合……。
「どういう意味なんだ?」と日下部。単語のつながりに脈略がない。
「さあな。だが、〝私〟が残してくれた手がかりだ。何か意味がある」
「人生に意味があるとは思えんが……」
「人ではなく機械だよ……。おい」
「何だ、娘よ」
「娘はやめろ。お前に提案がある」
「何だ?」
「〝試合〟はこのまま続ける。だが、決着はつけない」
「八百長か……。時間稼ぎだな」
「そうだ。私は真相を知りたい。私自身のことだけでなく、一連の出来事に関して……。ホールディングスは何がしたいんだ? あんたは?」
「俺もだよ。そして〝賭け〟の詳しいオッズを知りたい。前にコッペリアに言ったかな?俺に賭けたヤツは……」
「どうするんだ?」
「許してやるさ。二、三発ぶん殴るだけで」
「賭けなかったヤツは?」
「……言わせるつもりか? 俺の怒りも増殖しつつある」コイツと同じように。日下部は倒れたフードの女を足で軽く蹴った。
「愚問か……。さあ行くか。後のことは戦いながら考えよう」
「とりあえず。俺が先に通りに出るか。なるべく防犯カメラの死角を突くように動くか」
「できるのか。そんな器用なことが」
「努力目標さ。とにかくこっちが動けば、向こうも、ホールディングスも動く。その出方を見るしかないな」
「カウンターを狙うしかないか……。上手くいくと思うか」
「思わない。俺たちの人生にハッピーエンドはない。だがそれでも動くしかない」
「そうだな……。拳銃は交換しよう。こっちの方が使いやすいだろう」パティは屈んで、パンツに隠された足首のホルダーから拳銃を取り出し、渡した。コンパクトハンドガン。手のひらにすっぽりおさまるデリンジャー社製の逸品。
「いいのか? こっちはあまり弾がないぞ」
「こいつのおさがりを使うさ」パティは床に落ちたサブマシンガンを拾い上げた。
「じゃあな。適当に遊んでどこかで合流しよう。次の手を考えながら、な。……月並みだが死ぬんじゃないぞ」日下部は片手を上げ、そのまま小路を抜けて、人ごみの中に消えた。
あんたもな。おじいちゃん。
パティは一拍置いて、日下部の後を、義祖父の後を追いかける。
〇 次章へ ↓