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15時の手紙

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ささやかな昨日のできごと。
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#表現

創作リストが、人生の年輪

物欲は、創作欲の代替品。 と誰かがいった。 本当は自分で創りたいのに、それができないから物を買ってあてがうことで、無聊をなぐさめる。 言われてみれば、その通りだと思う。 (もっと言えば、創作欲は出産・子育ての代替品なのかもしれない) ぼくも妻も、ものづくりをよすがにして生きてきた手応えがある。 これまで創ってきた「作品リスト」が、人生の年輪であるかのように捉えてきた。 最近、ぼくは「創作行為」から離れて久しく、どことなく生きている実感が薄らいでいるような気さえしている。自

歌い手の人生のご褒美

妻のみみさんが、秋のコンサートに向けて熱心に楽曲えらびをしている。 古い歌曲がのびやかに流れ、部屋がぐっと格調高く高貴なムードに包まれる。クラシック音楽はぼくにはまるで縁遠い世界だったので、すこぶる新鮮である。彼女は楽譜をテーブルに広げ、時折、口ずさむ。とてもいい。 彼女は、重厚で懐の深い大柄な楽曲に挑みたいという気持を抱いているけれど、ぼくはどこか明るくコケティッシュな雰囲気の小品のほうが、今のみみさんの声質やチャーミングなキャラクタには合うように感じている。 もちろん、

長所を伸ばすか、短所を埋めるか

仕事帰りの妻とラグを携えて公園に行き、夕闇に塗り替えられていく空を寝転んで眺める。 先日のクラシック公演の話をする。 妻が師事する先生の門下生たちは、目先の演奏会に照準を合わせるのではなく、もっと長い目で音楽と向き合うのだという。演奏会が近づいても、平気で別の楽曲を練習するそうだ。これは驚くべきことだ。 妻が演奏曲で課題に感じている箇所をいくつか挙げたとき、「それは、今回は捨ててもいいのじゃないですか」と先生はさらりとおっしゃったらしい。苦手箇所の克服に残りの時間を費やすよ

音楽の魂

妻のみみさんが、舞台に上がる日がきた。 新型コロナウイルスで長らく休止されていたコンサートが、久しぶりに催された。 彼女は日ごろから練習に明け暮れていたが、この数日間の追いこみは体調を危ぶむほどだった。 教会のホール。舞台中央にスタインウェイと複数の譜面台。先頭の客席に座る。いちばん近くの席で見守りたかった。客電が消え、奏者が登場し、華やかなドレス姿の妻が現れる。 すっと背筋を伸ばして立つ姿は凛々しく、気品があり、息を呑むほどに神々しい。(うちでは普段着で気ままに過ごすチャ