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歌い手の人生のご褒美


妻のみみさんが、秋のコンサートに向けて熱心に楽曲えらびをしている。
古い歌曲がのびやかに流れ、部屋がぐっと格調高く高貴なムードに包まれる。クラシック音楽はぼくにはまるで縁遠い世界だったので、すこぶる新鮮である。彼女は楽譜をテーブルに広げ、時折、口ずさむ。とてもいい。

彼女は、重厚で懐の深い大柄な楽曲に挑みたいという気持を抱いているけれど、ぼくはどこか明るくコケティッシュな雰囲気の小品のほうが、今のみみさんの声質やチャーミングなキャラクタには合うように感じている。
もちろん、世界観に深みをたたえた壮大な楽曲を聴きたい気持もぼくにはあるけれど、それは今後の人生経験を積むほどにいくらでも機会が訪れると思う。熟練するほどに歌う楽曲が移り変わっていくというのは、歌い手ならではの人生のご褒美かもしれない。

小品だけでは短い曲が立て続けになることから、コンサートのプログラムを組みづらいという現実的な問題もあるものの、今しか歌えない(今だからこそ引き立つ)歌を選べたら素晴らしいことだ。
(たとえば老境の歌手が、若々しく可愛らしい楽曲を歌えば「味」が出るとは思うけれど、それはもう、本当に若々しい年代の歌手が歌うものとは別枠の聴き方になるだろう)

文章も同じだ。
みずみずしい感性やワードセンスを活かしたような文体は、若い人に許された特権だと思う。ある年代を越えると、その「感覚的」なありようは一種の脇の甘さに映るし、下手をすれば無様な若作りにも映りかねない。
一方で、人は文章から加齢が進むとも言えるので、見た目より先に、使う言葉に、思考の癖に、老いが露わになる。その度合いをセンシングできるかは、書き手の一つの資質と言えるかもしれない。


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