シェア
太宰治の『斜陽』は、終戦後に文京区西片の屋敷に住んでいた貴族が、家を売り払って伊豆に移り住む話である。太宰の愛人が書いていた日記を借用して小説化したと言われているので、当時のハイパー・インフレーションのリアルな世相が描かれている。 これは先日「通貨なき生活」を思考実験した際の暮らしぶりに近い。 その最後に思い至ったのは、お金の話ではなかった。 通貨を失ったとき、われわれは何を護りたいのか。 これまで通貨が暴落した国は枚挙にいとまがない。そこに生きた人びとがどのように暮らし
円安が進行している。食品の値上げも相次いでいる。コンビニでパンでも買おうとすれば、気づけば200円近い値札がつく。 ハイパー・インフレーションへの備えについて先日簡潔に綴ったが、今日はまたその続きを考えたい。 「救命胴衣」としての「外貨準備」を推奨したけれど、これはあくまでも最低限度の備えにすぎず、救命胴衣をしているからといって海上に放り出されても「ふつうの暮らし」を保てるわけではない。カタストロフから一命を取りとめたあとには、いったいどんな生活が待っているのか。 それは
家人が寝静まった深夜、隣りの部屋で窓を開けて扇風機を廻し、手許の灯りだけ頼りに、音を立てないようにキーボードをゆっくりと打つ、この時間が好きだ。 街は物音ひとつせず、扇風機の旋回する音だけが耳を掠めている。深夜の米連邦公開市場委員会の会見を控えたニューヨーク市場の為替相場をスマートフォンで時折見遣りながら、100年前のドイツで起きたハイパー・インフレーションを思う。 「手押し車の年」と呼ばれることになる、世界史に残る一大経済危機である。大量の紙幣を手押し車で運ばないとパンを