通貨が死ぬときに
家人が寝静まった深夜、隣りの部屋で窓を開けて扇風機を廻し、手許の灯りだけ頼りに、音を立てないようにキーボードをゆっくりと打つ、この時間が好きだ。
街は物音ひとつせず、扇風機の旋回する音だけが耳を掠めている。深夜の米連邦公開市場委員会の会見を控えたニューヨーク市場の為替相場をスマートフォンで時折見遣りながら、100年前のドイツで起きたハイパー・インフレーションを思う。
「手押し車の年」と呼ばれることになる、世界史に残る一大経済危機である。大量の紙幣を手押し車で運ばないとパンを購入できなかったことに由来している。
その様子を史料から克明に追った『ハイパーインフレの悪夢(原題:WHEN MONEY DIES)』(著・アダム・ファーガソン)を読むと、ハイパーインフレに見舞われたとき、何がどういう順序で巻き起こり、どのような経過を辿るのかがよく判る。
震災時の避難経路を確認するように、一度頭に入れておくほうがよい。経済防災とでも呼ぶべきリテラシーである。
今の日本円に換算すると、牛乳1パックを200円として、8ヶ月後に5700円になる計算になる。
通貨が暴落するとき、「物価」の高騰に対して「給与」の上昇が伴わないところに悲劇が起こる。(我々は1本5700円の牛乳を買う余裕があるだろうか)
当時24歳のアーネスト・ヘミングウェイが、新聞特派員としてドイツ入りし、レポートを挙げた記事がある。フランスからドイツに入国した若者が、レートの有利な外貨で買い漁る様子が描かれている。
やがて通貨が紙屑に近づくと、人びとは物々交換か外貨による取引を行うようになる。そして、食糧品の生産手段を持つ農家が優位に立つ。
農家に加えて、債務者(借金を抱える人)も通貨の下落で返済が容易になるので、比較的有利になると言える。奨学金や多重債務に苦しむ人びとが、多少なりとも逆転できる可能性があることは、数少ない痛快事もしれない。
しかし、いちばんの受益者は外貨を持つ外国人だろう。日本の資産買い占めが始まる。なにしろ仮にインフレ率900%(物価10倍)であれば、同じ外貨で日本のすべてが10分の1になるバーゲンセールが始まるのだ。
通貨価値の暴落とは、日本円を持つ人びとをピンポイントで極貧にする手段である。
経済打撃を受けて窮地に陥ると、人びとは排外主義に煽られやすくなる。アドルフ・ヒトラーはハイパーインフレのさなかの1923年11月にミュンヘン一揆を興し、後年のナチス躍進の足場をつくる。
通貨暴落という事態は、今年はトルコで、去年はスリランカで、その前はアルゼンチンでといった具合に、よろしく持ち回りで起きている。日本がただちに同様になるとは言わないが、対岸の火事と安閑とはしていられない。日本も戦後の1949年にはハイパーインフレを経験している。その際は新円切り替えと預金封鎖という強権発動で沈静化させたが、国民は窮乏にあえいだ。
最悪を想定して準備を済ませたら、あとは楽観的に生きる。
これが信条なので、地球滅亡の日にも林檎の樹を植えるように、淡々と仕事をして読書をして妻を愛し、次の世代に残せる何かを探したいと思う。
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