今日の日記が、いつか誰かのもとへ届いたなら。
今日はなんだかカレーの気分だ。そう思って昼からお腹をすかせているのだけれど、気づけばもうこんな時間。夜もふけ、体脂肪に多大なるダメージがのこる時間となった。
でもやっぱり、カレーが食べたい。カレーはカレーでも、やっぱりカレーライスが食べたい。
そんな事を考えながら、パソコンに向き合っていると、なんだかとても書きたい気分に駆られた。
さっきまで仕事で書いていたのに。不思議だ。僕はまだ書きたりないのか。
毎月僕は月末になると、日頃から行っている団体の活動報告をつくる。活動報告とは言っても、本当に手紙のように書く。
読んだ人に感謝の気持ちが伝わるように、読んだ人の明日が少しでも楽しみになるように。
「ありがとう」の気持ちを込めながら、今月も書く。
僕がこの連載を担当するようになったのも、4月からだった。
最初は共同代表の一人から「この文章に瑛を感じない」と言って、やり直すことになった。
今となってはそのやり直しが、僕にとって大きな価値になったことを実感している。
でも最初は「自分」ってなんだよ。って正直思っていたような気がする。
文章に自分を出すって、とてもむずかしい。
その人らしさが文体から表れるまでには、おそらく書き続けるしかない。
でも連なった自分の文章を読んでいると、「おお〜、たしかに。。」と思うことはしばしばある。
自分の文章なのに、元気づけられることも、ある。
不思議だ。
書くことは、僕にとって、未来の自分を励ますために書いているのかもしれない。
そして、書くともう一つ良いことがあること発見した。
それは、自分を俯瞰して見れるということだ。
ちょっと遠くから自分を見ている感じ。たぶん2mくらい。
だから、自分を整理したいと思うときは、noteに向かう。この場で今の自分が何を考えているのか、見てみたい。そして、その感情がこもった文章が、誰かの目に届き、誰かの明日を元気にしたのなら、もうなんにも言うとはない。
北島康介も顔負けの「なんも言えねえ」である。
おそらく考えていることを外に出す営みはとても大切で、その営みを行うことによって、僕は自分自身のことを肯定できているのだと思う。
何を考えているのか。今日あった出来事から何を感じたのか。
それらの自分と向き合った蓄積こそが、未来の自分を励ます方位磁針となるのだろうなあ。だから書くことはやめられない。
今日も読んでいただきありがとうございました。
僕にとって「書く」ということはライフワークのような気がしています。
20230927-森本瑛
もし、記事を読んでみて笑ったり、感動していただいたり、心が動いたりしてくれたのならそれ以上の喜びはありません。心からの“感謝”をあなたに、ありがとう。