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禁止されたものの多さ
わたしが受けてきた教育や、大人になってからも押し付けられてきた規範はあまりにも多く、どれが必要なもので、どれが不必要なものかを選ぶのが難しいです。
小さい頃躾けられたことは、社会や集団の中でやっていくには必須なものもあるので、全てがいけないとか、全てが必要とか割り切れるものではありません。
だからこそ、何を選ぶのかが大切なのですが、選ぶ主体が『自分自身』になってから、何が必要なのかを選ぶことができなくなっている。
そのことが問題なのだと思います。
象徴的なエピソードに、幼い頃祖母に言われた
「口をポカンと開けていると、馬鹿みたいに見えるからやめなさい」
という躾があります。
もちろん人前で口をポカンと開けていたら「大丈夫?」と思われたり、「この人に言っても理解してくれなさそう」と信用を失うかもしれませんし、単純に身だしなみの問題で不快感を与えるかもしれません。
幼い私は、口の形なのか、鼻が悪かったのか、どうしても口で息をする癖があり、意識していないと自然と口が開いてしまいました。
だから注意されるたびに、頑張って口を閉じようとして、ようやく意識しないでも口を閉じていることができるようになったのです。
わたしが外からどう見えているのかを指摘して、直すように言ってくれた祖母には感謝しています。
しかし一方で、口を自然に開けてしまう私はそもそも『馬鹿なのだ』と思ってしまったり、努力しても振る舞いに気をつけていないと『おかしい人』ということがバレてしまうのだ、という恐れを抱き続ける原因になりました。
口を開けてしまう。
という行為一つとっても、「わたしは自然体でいるとみっともない人間」という自己否定に繋がっています。
肯定して育てられた人には決してわからない感覚なんですが、
「こうすると良いよ」
というアドバイスが
「あなたはそもそも恥ずかしい存在なのだから、そう見えないように気をつけていなさい」
という批判に繋がってしまうのです。
アドバイスした側にそんな意図が無いことは十分分かっている。
祖母が注意したのは、私に信頼できる人に育って欲しかったからということも分かっている。
なのになぜ、こんなあまのじゃくな考え方が浮かんでくるのでしょう?
これはアドバイスを受けることやアドバイスをくれた人を拒絶しているわけではなくて、何かにつけて自分が悪い存在だと思っておきたい衝動があるからなのだと思います。
いつの頃まで遡って良いのかは分かりませんが、わたしが無邪気にやろうとしたことを、理由もなく止められたり、理由を伝えられても私には理解できない理由で止められたことが多かったのだと思います。
幼い子どもは、社会のルールも、人として他人や社会に求められるものも、何も知りません。
静かにしなくてはいけないところで騒ぎ、その先に危険があることを知らずに進んで行ってしまいます。
だから制止されたり、行動を変えるように強制されることはとても多いと思います。
だからこそ、ある程度の自由を確保してやる必要がある。
そうでなければ、何もかも『いけないこと』になってしまい、何をやっても『いけないこと』ばかりする自分は迷惑な存在だと思い込んでしまうことになりかねないのです。
広く世界を見渡せば、他国に侵攻して多くの人の命を一方的に奪っても、その行為を反省もせず、大義名分があるから正当だと言い張る人たちもいる。
人間の言う『正義』など、全く身勝手なものだということがよくわかります。
だから今わたしがわたしに課している禁止事項も、他人がわたしに課す禁止事項も、確かな根拠など無い曖昧なものだということは十分に分かっているのです。
それでもほんの些細なことで、他人からわたしの行動について指摘されたことが、わたしという人間の至らなさを責められたと感じてしまう……
『自分を責める依存症』に罹っているといえるかもしれません。
すごく頑張っている人の姿を見る
イキイキと張り切っている人の話を聞く
それだけで自分の至らなさと比較して傷ついてしまう自分……
この心の動きが、『自分を責める依存症』の症状なのでしょう。
生育歴がキッカケだとしても依存症になってしまったら、今の考え方のクセと行動を矯正していくしかありません。
禁止されたものは、本当に自分に必要だったのか?
相手は本当にわたしのためを思って禁止したのか?
相手自身が自分を守りたいから禁止したのではなかったか?
何となく虫の居所が悪くて禁止したのではないか?
わたしの行動を誰かが禁止するには様々な理由がある。
それを見極める気力もなく、自分を責めて落ち込みたいだけの自分の心を変えていく必要があるのです。