亡き祖父の珍エピソードたち(笑)と、祖父母との想い出◎
こんにちは。
お読みいただき、ありがとうございます◎
さて先日、亡きおじいちゃんのことを、少し書きました。
2年前、世界中が大変なことになる少し前に、91歳で亡くなったおじいちゃん。
認知症と診断されてから、、10年くらい経っていたのかな。
…母の苦労が思いやられます。
母、お疲れさま。
おじいちゃんは60代後半で末期の腎臓癌を患ったのに、
奇跡的に他の臓器への転移はなく、
腎臓の手術によって脅威の復活を遂げた、
スーパー強運じいちゃんです。
しかし癌を患ったという心配要素もあり、
また、おばあちゃんはおじいちゃんより5歳下だったこともあり、
先々、当然おじいちゃんが先に逝って、おばあちゃんが残ると誰もが思っていて。
おばあちゃんは、
「おじいちゃんが居なくなったら私は老人ホームに入るわ。友達もできて、きっとその方がいいし。」
…と言っていたのですが。
(実際先にご主人を亡くして、もちろん寂しい気持ちはありながらも、
ちょっと羽を伸ばしているような、ちょっとイキイキしたような、そんなおばあちゃまを、仕事の中でチラホラお見かけします。
ご主人への愛がないとかじゃなくてね。
今よりずっと男尊女卑の強かった世代です。
女性だというだけで、掴めなかった自由が、多分たくさんあったんだろうなと思います。)
しかし、結局おばあちゃんが先に逝ってしまった。
おばあちゃんも癌になって、
でも昔のおじいちゃんのように奇跡的に復活することは、ありませんでした。
*****
こんな流れですが、おじいちゃんの珍エピソード、いきます。笑
エピソード①手土産事件
おばあちゃんが癌になったとき、
おじいちゃんはもう、それはそれは立派にボケてました。
3分前に言ったことが、記憶からすっかり抜け落ちるくらいに。笑
おばあちゃんのお見舞いに親族がたくさん来てくれて、
病室であんまりガヤガヤできないので、おじいちゃんの家に移ってもらったときのこと。
お客さまがたくさん来ているというのに、
「買い物に行こう!」
と言い出すおじいちゃん。
日々の買い物はおじいちゃんの生き甲斐(特に趣味のなかったおじいちゃんの、唯一?の出かける理由)みたいになっていたのですが、
この日は、お客さまに手土産をお渡ししたいという意図があってのこと。
多分、母や叔父はその場を離れられなかったとかいう理由で、
孫の私が車で連れていくことに。
そしてお店に着いて、みなさんへの手土産を買って。
包んでもらうのを待っている間に、私たちの晩ごはんになるようにと、別でお土産を買ってくれて。
両方の会計を済ませて。
あとは商品たちを受け取るだけ。
その待ち時間のエピソード。
①
祖父「品(しな)は、まだか?」
私「今、包んでくれてるで」
②
祖父「お前らの土産は要らんか?」
私「それももう買ってもらったで」
③
祖父「金は払ったか?」
私「うん、もう払ったで」
①→②→③→①→②→③→…
この、たった3つだけの質問を、まあそれはそれは規則正しく…エンドレスで…泣
5周は、したな。
10周かな。
…絶対、店出た後、店員さんたちの恰好の噂のタネになっていたと思う。。。
*****
もう1つのエピソードは、おばあちゃんがまだいたときか、おじいちゃん1人になってからだったか定かではない…
エピソード②おじいちゃん行方不明事件
おじいちゃんの家から徒歩5分ほどのショッピングセンター。
先にも書きましたが、
買い物はおじいちゃんの生き甲斐。
おじいちゃんの家に顔を出した瞬間に
「買い物行こか」
と言われたこと、数知れず。
その日は、おじいちゃんと2人で歩いてショッピングセンターに行くことになり。
母に、ショッピングセンター内のパン屋でパン買ってきて!と頼まれ、
おじいちゃんと2人で出発◎
おじいちゃんが無駄に食べ物を買い過ぎないかをチェックしながら(すぐ特売品とかを買おうとするけど、特売品は賞味期限が短いことは気にも留めない。結局買った食品が余る事態に…泣)、
食品の買い物を終え、精算を済ませ。
…あ!パン買うの忘れてた!!!
私「おじいちゃん、パン買いに行こ!」
祖父「なんでや?俺ぁパンは要らん」
私「私お母さんに頼まれてるねん」
祖父「俺は行かん」
〜私の脳内〜
…えーどうしよ!?
お母さんにパン買ってきてって頼まれたし…
…あ!でも!
すぐ戻ってきたら大丈夫かな?
おじいちゃん待っててくれるよな◎
3分以内に戻ったら大丈夫!!!
#ウルトラマンかよ
#そしてウルトラマンは私か?おじいちゃんか?
〜〜〜〜〜
ええ、もうオチは見えているかと思いますが。
その後秒速でパンを選んだのに、
何故かレジが混んでおり。泣
トレーに入れたパンを戻すに戻せず。
元の場所に戻ったら…おじいちゃんが居ない!!!
慌てておじいちゃんの携帯に電話したら。
「もしもし?(←母の声。つまりおじいちゃんは携帯を家に置いている)」
…何のための携帯やねん!!!
そこから私と母(父もいたかな)の、おじいちゃん大捜索が始まり。
…おじいちゃん、1人で家に帰ったかな?
帰る途中で轢かれて死んだりしたら、私のせいやな…(誰も責めないだろうけど)
とか心配しながら。
結局。
ショッピングセンター内の違うフロアにいて。
祖父「なんでお前ここにいるんや?」←一緒に来たこと覚えてない。
#当然
#これが認知症
吉本新喜劇みたいに、ひっくり返りそうになりました。
*****
この珍エピソードたちのおかげ(?)で、
おじいちゃんのことを思い出すときは、いつもちょっと笑ってしまう。
本当は結構気難しいところもあって、
おばあちゃんや母はまあまあ苦労したと思うのだけど。
相当ボケてから、おばあちゃんに先立たれてしまったので、
当時は生きる気力を失ったように見えました。
長生きできることが、必ずしも幸せには繋がらないんじゃないかと、
孫ながらに思うこともありました。
おばあちゃんの死を受け入れた頃、
今度は
俺は葬式には出てたか?と心配する始末。
お通夜も、お葬式も、四十九日も全部やって、
その全てにおじいちゃんもちゃんと出席してたよ。
…と言ったけど、
母は私の10倍以上この話をおじいちゃんにしたに違いない。
でもそんなおじいちゃんも、だんだんと落ち着き、
母や、母のいとこたちや、ヘルパーさんに助けられ、
施設に入ってからは施設の方たちにお世話になり。
随分と穏やかになっていきました。
最期は誤嚥性肺炎で突然亡くなってしまったのだけど、
あちらの世界で羽を伸ばしたおばあちゃんが、
そろそろこっちに来たら?と呼んだのかなと思っています。
おばあちゃんが亡くなってから、5年弱。
単純に体が弱ったこともあるのだろうけど、
超絶頑固ジジイ(笑)だったおじいちゃんは、どんどん穏やかになっていきました。
お葬式のときだったかな。
誰かが言ってた。
10代のときに両親を亡くし、その後6人きょうだいの長男として、みんなの父親がわりとしてきょうだいの面倒を見てきた、というようなことを。
そういう境遇がおじいちゃんを、頑固ジジイにさせていたのかな。
三つ子の魂百までと言うけれど、
もしかしたら元々のおじいちゃんの気質は、晩年の、穏やかな方だったりして。
おじいちゃんが居なくなってから、そんなことを思いました。
*****
さて。
珍エピソードでもないけれど、おじいちゃんおばあちゃんの話をもう少し。
私が就職して、
転勤になって、2つ目の職場に赴任した頃の話。
その職場は、自分の家とおじいちゃんの家の、ちょうど中間くらいにあるところだったので、
2人はしきりに
「帰りが遅くなったら、うちに来たらええ!」
と言っていました。
(2人の感覚では、自分たちの家の方が近いと思っていたみたい。)
いや、帰りが遅くなったときって…9時には寝てるあなたたちが何を言うか!笑
と思いながら、
何度か仕事終わりに遊びに行って、泊めてもらったことがあります。
次の日かなり早くに起こされて、
歩いて10分足らずで駅まで行けるのに、
「遅れたらあかんから!」と30分くらい前に出発させられ。
道わかっているのに、送ってくれて。
(おじいちゃんおばあちゃんが付いてきてくれる方が、当然遅い。笑)
ほとんど人の居ない駅で20分くらい待ちぼうけをするハメに。笑
*****
おじいちゃんのことばっかり書いてきたけど、
おばあちゃんはすごく優しい人で、
かなり歳をとってからでも、
「荷物重いやろ。おばあちゃんが持ったろか?」
なんて、言ってくれていました。
おばあちゃん、私のこと何歳やと思ってたんやろ。
(そのときハタチはこえてたはず)
おばあちゃんが余命宣告をされたとき、
私はまだ結婚してなくて、相手の目星すらついていない状態で、
母に「おばあちゃんに、あんたの花嫁姿を見せてあげられへんかった」
と泣かれて、
でも相手すらいないものはどうしようもないやん…
…と、そのときは思っていましたが。
おかげさまでその後相手も見つかり子どももできて、
今は元気に幸せに暮らしています。
私の結婚が決まったとき、
母がしきりに「おばあちゃんが出会わせてくれたんや」
と言っていました。
…そうかもしれない。そういうことにしておこう◎
おじいちゃんおばあちゃん、ありがとう。
*****
随分長々と書いてしまいました。
今頃あちらでくしゃみしてるかな。2人とも。
思い出すよい機会になりました◎
小さな幸せがあふれる毎日でありますように。
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