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『月まで三キロ』伊与原新さん 読書感想

この話は、家族も仕事も失った五十代の男性と、たまたま乗り合わせたタクシー運転手と話す中で生まれた、理系の要素と情緒的な感傷を織り込んだストーリーです。

この本は短編集なのですが、本のタイトルにもなっている『月まで三キロ』という話について、ネタバレ含みつつ考えたいと思います。

この話は、五十代の男性が、自分の半生を振り返り暗い気持ちのまま自殺を考え、自殺の名所といわれる富士山麓に出ようとタクシーを走らせるところから始まっていきます。タクシーに乗っていると、運転手に違う方面に連れてこられます。そこで月を見ながら自分の半生を振り返りつつ、意外な最期だったタクシー運転手の息子の話を聞きながら、話は進んでいきます。

主人公の男性は、岐阜の山奥の生まれで、厳格な父親からの反対を押し切り、東京の広告代理店に就職しました。やがて結婚もし、会社への不満から自分で広告代理店の会社を立ち上げますが、バブルの崩壊で広告費を削りたい会社も多く、事業は数年で畳むしかありませんでした。

男性の会社の経営が傾く中、結婚していた女性との仲はゆっくりと冷えていきました。やがて別れを切り出され、離婚するしかありませんでした。結婚して数年間はあった「子供はどうするの?」という言葉も、見切りをつけられたのか言われることはなくなっていました。

離婚するとき「わたしのほうは、まだやり直せる。子供も産める。何もいらないから、判を押してほしい」という内容を話されます。覚悟していたため、驚きはしないにしても「わたしのほうは」という言葉が、頭蓋骨の内側で重苦しく反響していた、と書かれます。

つまりあなたのほうはこれから再婚などできないかもしれないが、わたしのほうはまだ再婚もできる、だから別れてほしい。そういう意味合いだったんですね。

そういったことを思い出していくうちに、タクシーは静岡北部の天竜川上流に着きます。月が白く輝く夜で、そこには「月まで三キロ」という標識が立っていました。

男性は標識に戸惑いながらも、「満月の夜はここに来るんです」という運転手につられ、外に出ます。

運転手は自分の息子がいじめで死んだことなどを話します。理科の教師だった運転手は、昔、月を息子と見た話などをぽつぽつします。この月が、「息子だ。息子が見てくれている」と思い、満月の夜は来る場所なんだそうです。

男性は、運転手の「父親から息子への感情」に触れ、老人ホームにいる父親を思い出し、もう一度生きる希望をかすかに見出します。

この「月まで三キロ」という標識にも実は別のきちんとした意味があり、その意味を知るミステリー作品という意味でも楽しめると思います。

いじめの描写がある小説だと「私立の中学に行きたいため、同級生の誘いを断り、勉強に専念していた。それでも、成績が追い付かず公立の中学に行くことになり、精神を逆なでされていた同級生からのいじめを受ける」などの細かい理由の設定が入るものも多いです。

ただそういったことをせず、息子の描写を「線の細いガリ勉」あたりの言葉のみにしています。これは「月の情報や月がある情景」に意識がいきやすいように、文章設計されているのだと推測されます。

( この小説に出てくる天竜川は、川幅が広くダイナミックな、薄い青緑のきれいな川なんで、もし機会ありましたら行ってみてください。寸又峡は特にすごく良く、普通の色の川と、青緑の川が合流する珍しいところが見られます。)

この小説は、自然科学の知識と、人間の感情をゆるやかに交差させて描いた小説だと思いました。

また、ほかの本も図書館で借りてみようと思います。

ありがとうございました。







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明石わかな  | 本
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