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慈悲(3)
さて、執筆に集中するためちょっとnote離れます。
元々対談企画とかやってメインコンテンツにしようと思ってたのですが、コロナでね〜😓
どうにかトークで繋ごうと思ったのですが、力及ばず、ちょっとこのままやってもあまり発展性無さそうですので…
でも素敵な出会いもあり楽しかった🥰
また対談が実現したり本出るの決まったら来ますね〜
次の本は歴史上はじめて記紀神話の象徴体系を解き明かし、日本人の思考とは何かという大問題をかなり前に進めることになると思います。ぜひお楽しみに!
読書感想文だけ閉じちゃいましょう。
ソレルスが、「人間は結局フロイト派かユング派かのどちらかなのだ」と言っていた深い意味が、ここでよく分かる。
結局ここではスサノオがマザコン扱いされていて、吉田氏の新しいところはそれをそのままシスターコンプレックスにまで直結させちゃうところなんですが🤣
アニマだとかいう理想化を固定してしまうと、マザコンからアマテラスへのシスコンへ、それから娘のスセリビメまでその転移のレールに乗せられちゃうとは…これは徹底していて知名度の無いスサノオがアマテラスの名前を出すのも、雨の叢雲の剣をアマテラスへ届けるのもアマテラスとの同一化と母胎回帰にされちゃうのには驚きます。
以前も言いましたが、あらゆる心理学はポジショントークであり、そうである以上逆もまた真である。こういう人から見たら芸術家はすべて子供だし、ひどい場合には乳幼児のままだ。そしてスサノオは日本で最初の歌を詠んだ芸術の神なのです。
つまりユングのような一義的な決定では、まあ、控えめに言っても何一つ見えていないに等しいのですが、こうした読みが成り立ってしまう時点で人類による理想化の病は続いて行くのでしょうね…目眩がします…
ユングはバカで間違いないのですが、ちなみに河合隼雄さんはユングのことをそこまで真に受けてはいないですよ。カウンセラーの資格のために提出した論文を見れば明らかですが、無理矢理ユングの名前を出しているだけです…まあ、看板が欲しかったのでしょう…
結局「母の父」で読む僕の読み方の方が数倍筋が通ることはご理解いただけるかと思います。
以前『千の顔を持つ英雄』という本を勧められてですね、時間を無駄にしたのですが…本当にね…世界の神話の原型を見出す、なんていって、英雄は試練にあって成長する、とかね…まあそれはそうなんじゃ…みたいな…そんな程度の話なんですが、そんな最大公約数的な見方ですらスサノオは捉えられない…スサノオは試練らしい試練は潜ってないのです…スサノオは実ははじめから一貫していて、特に成長もしてないんですよね…試練は逆に大国主に課す側です。
とにかくスサノオはマザコンなのではなく、マザコンに見えるだけなんです、ここ大事!
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