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ドラマ『天国と地獄~サイコな2人~』は他人事か

 今回の投稿では、ドラマ『天国と地獄 〜サイコな2人〜』をみた感想を書く。この映画をみて思ったのは、「他人事と自分事のどちらの方が頑張れるのか」ということだ。考えたことを記録として書き起こす。
(この記事にはネタバレを含む)

□入れ替わりヒューマンドラマ

 自分が自分である限り、現状から抜け出すことはできない。こんな考えは誰の頭にもよぎるのではないだろうか。
 いっそのこと他人になってしまえば、現状を打破できる。そんな可能性を考えてしまう。

 私は登場人物の人格が入れ替わるドラマが見たくなった。高橋一生さんが出演しているということもあり、ドラマ『天国と地獄 〜サイコな2人〜』を選んだ。

 この作品には自分がどうしようもなく自分であるせいで、行き詰まっている人物が登場する。
 他の人だったら、あっと驚くような方法で現状を打破することができるのか。ストーリーを必死に追っている私がいた。

 『君の名は。』でも、入れ替わった登場人物は自分ににできることはまだあるかと必死に行動していた。体と精神が本人のものであれば、きっと諦めてしまうような状況であっても、他人の行動は自分の想像を超えることがあるようだ。

□自分事と他人事での動機づけ

 他人事に秀でた陽斗

 さて、私は高橋一生さんの演技に魅力を感じているので、日高陽斗ひだかはるとを中心にストーリーを追っていた。
 この人物は、自分を自分として扱うのは下手であった。『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』の言葉を借りれば、日高陽斗は自己犠牲型の「ギバー」だからである。相手が何を求めているのか注意深く観察することに長けている。一方で「テイカー」とは相性がよくない。
 作中でも、身近な「テイカー」と歪んだ形で付き合い続けて、その身は破滅へとひた走る。

 日高は他人事を考えるのが上手だ。望月彩子もちづきあやこと入れ替わり、刑事としての仕事も居候との共同生活も器用にこなした。ときには元々の望月彩子以上の立ち回りをみせる。
 その頭のキレは大抵の事柄を、他人以上に処理することができる。それは事件の証拠隠滅や捜査のかく乱も例外ではない。

 しかしながら、自己犠牲の精神が災いしてか、自分に利する行動を選べる環境から遠のいてゆく。

 自分事としてとらえる陸

 自分事としてものごとを捉えたとき、人はどのように行動するのか。
 この作品では、物事を自分事として捉えようとする例として、渡辺陸わたなべりくの仕事遍歴がある。
 
 元々証券会社で働いてガッポガッポと稼いでいた陸であるが、現在は便利屋を職業としている。そのきっかけをこのように話していた。

「でも、でもですね。ボランティア行くことがあって、災害があったところ。そこで、まぁ~クソほど役に立たないわけですよ俺は。で、考えちゃって。人の金を右から左に動かすことしかできないやつってどうなんだろって思って。それからまぁ、自分の手で何でもできる奴になりたいって」

7話

 実際に清掃業や犬の散歩、心臓マッサージまで多くの場面でスキルを見せる。

□おわりに「自分事のように考えられる他人事」

 「他人事と自分事のどちらの方が頑張れるのか」という疑問を持った。
 この作品を最後まで見て、自分なりに考えた。
 
1.他人事のままでは、自分事でも努力し続けられない。
2.ただの他人事は隣でも地球の裏側でも他人事となる。
3.自分事のように考えられる他人事に出会えるか。
4.自分事に自分の力取り組むことには逃げ場のなさという強制力がある。

 1つ目は、自分が中学生時代の受験勉強などが思い起こされる。自分より親の方が受験に対して躍起になっているせいか、自分事としての意識が薄いままに高校入試を受けた。

 2つ目は、意識の外側の出来事である。今この瞬間も事件・事故が起きている地域はあるのにも関わらず、今この瞬間に自分を悩ませるのは自分の身の回りの出来事である。

 日常生活の中で一番向き合う機会が多いのは4つ目だと思われる。『嫌われる勇気』で読みかじったアドラー心理学でも、キホンのキとして”課題の分離”があった。自分と他人の課題を分けて考えましょうという意味だと思って読んだ記憶がある。

 また、アドラー心理学は”共同体感覚”という考え方の理解が難しい。きっと”共同体感覚”の考え方を自分の行動と紐づけることができれば、3つ目にあげた「自分事のように考えられる他人事」として、他者貢献の行動に繋がっていくのだろう。

 4つ挙げた内で、私の場合は3番目の行動ができれば自己肯定感が最も上がりそうだ。

 このドラマの中でも印象的なセリフがある。渡辺陸が望月彩子に対して、自分にはない部分を見出しながら次のように語る。

「彩子ちゃんといると、2人分の人生を生きているような気がする。」

5話

 他者と関わるとき、その他者の人生の一部に触れているわけである。他者の身に起こっていることを自分事としてとらえている瞬間を、2人分の生きざまとして捉えるのはお洒落な考え方である。

 そう思える対象はどんな人か。
 渡辺陸の場合は、自分にないひたむきさを持つ他者への尊敬からくるものであった。

 私が他人事を自分事のように考えるには、話が一周してしまうが、他者と中身が入れ替わるくらいの荒療治が必要だ。

 私は自分事を他人事にせず、自分自身のこととして取り組むことから始めようと思う。

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