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息をするように本を読む104〜あさのあつこ「弥勒の月」シリーズ〜
時代小説、時代劇が好きだ。
どうしてかは上手く説明出来ない。
あの、何とも言えない空気が好きなのだ。
ものすごくテンプレなことを言うと、時代小説といえば、お髪に少し銀の入った、いつも苦虫を噛み潰しているような気難しい(失礼)お顔の作家さんがくわえ煙草で、何なら渋いお着物をお召しになって、お気に入りの万年筆で名前入りの原稿用紙に書かれているイメージがあった。(すごい偏見、しかもいつの時代だ)
読者側も、似たような感じ男性が多いように思われる。(これも偏見だな)
最近、テレビや映画の時代劇があまり流行らなくなったぶん、時代小説がちょっとしたブーム(?)のようだ。
書店に行くと、かなりのスペースを割いた時代小説コーナーがあって、いっときに比べると、びっくりするほどたくさんの時代小説が並んでいる。新聞の書評などでお名前をよく見る作家さんの、ものすごく巻を重ねたシリーズ物がズラリと鎮座し、その存在感は迫力がある。
他方で、お若い作家さん、女性の作家さんの台頭もめざましい。
取り上げる題材も、よくある、武将や侍が主人公のものばかりでなく、街物?というのか、市井の人々の暮らしを描き、それがまた、しっとりしたラブロマンスとかミステリータッチであったり、ちょっと怖いホラーっぽいものであったり、ファンタジーであったり、ドタバタコメディであったり、とにかく多岐に渡るいろんなジャンルがあって、時代劇に馴染みがない読者、女性やお若い方々にもとっつきやすい物が増えたように思う。
時代小説ファンの私にはとても嬉しいことなのだけど、ここまで種類があると、逆にどれを読もうかと悩んでしまう。
出来ればいろんなジャンルが読みたい。
高田郁さんみたいな健気な女性がヒロインの人情お仕事時代劇もいいし、宮部みゆきさん風のちょっと怖いホラー物もいいな。
司馬遼太郎さんや井上靖さんや浅田次郎さんみたいな歴史物はもちろんだし、池波正太郎さん的硬派な時代劇も。
そんなことを考えていると、この方のnoteが目にとまった。
千世さんは日本史にとても詳しくて、その考察はいつも興味深く読ませていただいている。
本もたくさん読まれていて、その、ネタバレ絶対無しの感想文はとても読み応えがある。
この記事の中で、千世さんがあさのあつこさんの時代小説がいい、と書いておられた。
これは読まねばなるまいな、とずっと思っていたのだけれど。
先月、やっと書店で購入して読むことができた。
「弥勒の月」。
この物語の舞台は江戸。
主人公は3人、と言っていいだろう。
街の治安を預かる北町奉行所の若き定廻り同心、木暮信次郎と、その下で岡っ引をしているベテラン親分、伊佐次。
そして、冒頭に起こるある事件の当事者、小間物屋の主人遠野屋清之介。
江戸の街で起こる不可思議な事件を、前者の2人が捜査し、それに後者の清之介が不可抗力的に絡んでくる、という体なのだけど。
この同心の信次郎というのが、なかなか強烈だ。
実直、誠実を絵に描いたような有能な定廻り同心の父の死後、父の手下だった伊佐次とともに父の役目を継いで同心になった信次郎のキャラクターが、伊佐次親分の目線で語られていく。
亡き先代同心の人柄をよく知る伊佐次にとって、信次郎は、いろいろと理解できない。
腕は立つ。頭も切れるし、目端も利く。
同心には向いている、のかもしれないが。
先代は同心としても優秀だったが、加えて深い情があった。手下の伊佐次にも手当の金子を与えるだけでなく、感謝と礼の言葉を忘れない。
伊佐次は先代を深く敬愛していた。だから、先代が亡くなった後、跡を継いだ己の息子と同い年の信次郎を陰ながら支えたいと思って、その手下になったのだ。
信次郎は、先代とは全く違った。
事件を捜査して下手人を捕らえる。お役目はちゃんと果たしているのだけど、そのやり方は、罪を憎んで人を憎まず、などという言葉とは無縁で、苛烈に過ぎる。
思わぬ事件に巻き込まれた被害者の遺族に対する思いやりとか気遣いというものも、完全に欠如している。
信次郎は、罪を憎んでいるのではない。人を憎み厭うているのだ、と伊佐次は思う。
自分を含めた全ての人間やその人生を疎ましく思い、この世に惓んでいる。信次郎の目には世の人の暮らし、思い、関わり合い、全てがくだらなくて退屈に見えている、らしい。
肉親の縁が薄くて尊敬できる人生の先輩や無条件に愛情を注いでくれる人間に巡り会えず、しかも、そこそこ優秀であるが故に周りを見下して成長してきた若者にありがちな傲慢さ、かとも思うのだけど、どうもそれだけではないようだ。
ある日、その信次郎の退屈を紛らわせてあまりある相手が現れた。
それが3番目の主人公、遠野屋清之介。
小間物屋遠野屋の若き主人、清之介は、シリーズ冒頭で起きたある事件に対して奉行所が出した結論に納得しない。
より詳しい再捜査を願い出た清之介はその場にいた信次郎と対立する。
信次郎は清之介の、一介の商人らしからぬ立ち居振る舞いや度胸の良さ、その読みきれぬ人柄に苛立ちつつも、興味を持つ。
おそらく、信次郎が人間に関心を持ったのは久しぶりのことかもしれない。
この後は、この得体も底も知れない2人のお互いの腹の探り合いに、次々と起こる別の事件が絡み、清之介の壮絶な過去と何とも陰惨な事件の全容が少しずつ明らかになっていくのだけれど。
この物語は別に夜の話ばかりではなく、もちろん、昼日中の場面もたくさんある。
だけど、なぜかこの作品のことを考えると、夜のイメージが浮かぶ。
先が一切見通せない、真っ暗な闇。
その中から、何か正体の知れないものの気配が、眼差しがこちらを窺っている。
皮膚がピリピリするような、身体に絡みついてくるような、ドロリとした粘度を持った闇。
熟れきって発酵した果実のような、息が詰まりそうなほどに甘く苦い香りに満ち満ちている。
あるいは、荒涼とした冷たい風が吹き荒び、耳元でびょうびょうと鳴る。そして、どこからかむせるような生臭い、血の匂いを運んでくる。
この深い闇を熟知した2人の男。
そして今、男の1人は絶望の中で見出したひとつの光を縁に闇から抜け出そうともがき、もう1人はそれを横目で眺めて嘲笑い、危ぶみ、そして密かに嫉妬している。
この先、この2人の関わりがどうなるのか、目が離せない。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
あさのあつこさんの、しっとりとした、そう、こういうのを色気がある、というのだろうか、そんな文章がとても心地よく、一旦ページを繰るや、取り込まれるように読んでしまう。
シリーズはまだまだ先があり、既刊も多くあるようだ。
いつもの私なら、すぐに書店に走って全冊買い揃え、一気読みするところなのだけど、これは時間をかけてゆっくり読もうと思っている。1巻1巻に、どっぷりハマって読みたい。
久しぶりにそんなことを思った。
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千世さん、「蒼穹の昴」シリーズに続き、面白い本を教えていただき、ありがとうございました。
また、楽しみが増えました。