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息をするように本を読む 7 〜ミッチェル「風とともに去りぬ」〜


 小学校高学年になった頃、父が1冊の文庫本を買ってきてくれた。表紙には薄い緑色のドレスを着た気の強そうな若い女性が描かれていた。
「風とともに去りぬ」(ミッチェル作)の第1巻だった。
 読み始めると、私はたちまち夢中になり、父に頼みこんで残り4巻(全5巻)を買ってもらった。

 
 ご存知の人はたくさんいらっしゃると思うが、いちおう。
 アメリカ南北戦争時代の南部の大農場主の娘スカーレットが主人公の物語だ。
 舞台背景が舞台背景だけに、いろいろと賛否両論あり、特に今年は論議を呼んでいた。   
 それについては今は置くとする。

 置いて読めばこの小説は、恋愛小説要素もあるものの、ある時代のある女性の細腕繁盛記だ。(なんて昭和な例え)


 スカーレットの父親はアイルランドの移民から一代で成り上がった大農場主、母親は数代前にフランスからやって来た名家の子女。
 この2人の間に生まれた彼女は美しいがわがままで気が強く、しかし、それを他人には隠してうわべだけは淑やかに見せかける技だけには長けた、世間知らずな典型的な南部貴族の令嬢だった。


 何事も起こらなければ、彼女は父親と同じような裕福な農場主と結婚し、母親と同じような南部の貴婦人(うわべだけは)になっていただろう。彼女自身、本当の自分に気付くことはなかったかもしれない。


 南北戦争によって南部王国は崩壊する。
 彼女や彼女の周囲が大切に守り、ずっと続くと信じて疑わなかった古き良き(あくまで彼女たちにとってだが)時代は消えた。
 南北戦争という嵐で、風とともに崩れ去ってしまった。


 主要登場人物の1人、レットバトラーが言う。

 国が壊れるときは、いちどきに金が儲かる。
 国が出来るときは、ゆっくり金が儲かる。

 まさに、そんな弱肉強食の時代が始まったのだ。


 この時代、南部人は2つのタイプに分かれた。
 崩れ去った古い時代を愛し慈しみ、いつまでも引きずっていて前に進むことを拒む者。
 自分たちの邪魔をするものと闘いながら、むしろそれらを利用し、新しい世界で勝ち残るためにはまったく手段を選ばない者。


 スカーレットはもちろん後者だ。先に述べたレット・バトラーも然り。
 そして、ずっとスカーレットの人生に関わってくる、スカーレットの初恋の人、アシュレイとその妻、メラニー。
 この2人は前者で、旧時代を象徴する。


 この後のスカーレットの快進撃は凄まじい。本当に手段を選ばない。めちゃくちゃだ。レットすら手玉に取ろうとする。
 このあたりは応援したくなるというよりは呆れてしまうし、ハラハラしてしまう。


 この物語で印象に残ったのは、なんと言っても女性はたくましい、ということ。彼女たちに比べたら、レットですら可愛らしく見える。
 

 スカーレットだけではない。
 スカーレットの使用人の女性たち、マミー
やディルシーの強かさ。売春宿の女主人ベルの苦労人らしい優しさ。スカーレットの昔馴染みの、全然めげない老婦人たち。
 そして旧時代側に属すると思われるメラニーでさえ、普段は大人しく淑やかなのに、必要なときはスカーレットが驚嘆するほどの度胸と強靭な精神力を見せる。スカーレットの母、エレンだってきっと同じようだったに違いない。

  そんな波瀾万丈な人生で、スカーレットは勝利を勝ち取ったのか。本当に欲しいものを手に入れたのか。


 昔、読んだときは、この結末にもうひとつ納得がいかず、友人たちと激論を戦わせたものだが、今読み返すとストンと胸に落ちる。
 むしろ、この結末以外はないと思う。
 読む時期が変わると作品から受け取るものも変わる。
 
 スカーレットに呆れながらも憧れ、レットはとんでもないやつだと思う一方で、カッコいいなあと溜息をつき、メラニーには徐々にだが限りない敬意を抱き、アシュレイには、うーん、彼にはいつもイラッとさせられるが、まあ、こういう男いるよなぁと諦念にも似た思いを持った。


 大好きな小説のひとつだ。まだまだ語り尽くせないが、それはまあ、いずれまた。


 あの日、文庫本を買ってきてくれた父に深く感謝する。


 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。



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