息をするように本を読む124〜中山七里「作家刑事毒島」シリーズ〜
記事の初っ端からこんなことを断言するのもどうかと思うが、この作品は万人にはお薦めしない、というか、できない。
初めて私が中山七里さんの作品を読んだのは「御子柴礼司」シリーズだった。
ちょっとあり得ないような設定、でも、そのキャラクター、その描写、文章の上手さにたちまち引き込まれて(引きずり込まれて?)、シリーズの既刊文庫はたちまちに読了、その後、天才ピアニスト岬洋介の「さよならドヴュッシー」シリーズ、法医学者光崎教授の「ヒポクラテス」シリーズ、などなど、手当たり次第に読み漁った。
そして、この「作家刑事毒島」シリーズにも手を出したのだけど。
……確かに面白い。すごく面白い。
ストーリーもキャラクターも、もちろん謎解きも。
そして、いつものことだけど、その中でいかにも中山作品らしい強烈なキャラが吐く強烈なセリフ。そこにはおそらく(と私は思っているのだけれど)中山さんが、いつも感じ、考え、実は言いたくてたまらないけど、昨今の社会では言いにくいことがしっかり混ぜ込まれている。
通常会話の中でそのセリフだけを聞いたら反論のひとつもしたくなる、こともあるかもしれないが、ここまでのストーリーの流れがある以上、どうにもこうにも、物語の中の登場人物たちと同様に誰もぐうの音も出ない。
たださっきも書いたが、それはいつものこと。中山七里ファンにとっては驚くに値しない。
でも、今回ばかりは、いやいや、ちょっと大丈夫なの?などと、苦笑交じりに思ってしまった。
中山七里さんは、恐ろしく筆が速い作家さんということで業界でも有名だそうだ。
同時にいくつもの締め切りを抱えていて(多いときで月に12とか)、未だかつてひとつも落としたことがないという。
そしてもちろん、その作品たちはどれも超一級。まさにプロ。
そんな中山さんから、今の出版業界や、作家、ライター、コメンテイター、運動家、そういういわゆる『表現者』『発言者』という人種はこんなふうに見えているのだろうか。
このシリーズで起こる事件は、ほとんどが舞台が出版業界か、もしくは関係者がそれに関連する界隈の人物であることが特徴だ。
そして、謎解きをする主人公は、元刑事で現在ミステリー作家の毒島真理(マリではなくマサトと読む。男性である)。
えっ、元刑事のミステリー作家がホームズ役? 何て王道でテンプレート、と思われた方、大丈夫、おそらく貴方の期待は大きく外れる。
探偵役というのは、古今東西だいたいにおいて性格が悪く、変人が多い。
シャーロック・ホームズしかり、エルキュール・ポアロしかり、湯川学氏しかり、古畑任三郎氏しかり。
しかし、おそらく私の知る限り、この毒島真理ほど、最悪最凶の性格の探偵はおるまい。
毒島真理は性格に難はあるものの非常に優秀な警視庁の刑事だったが、ある事情(これがまたとんでもない事情なのだ)で辞職し、今はミステリー作家としてそこそこ活躍している。
そして、性格に非常に難はあるものの(大事なことなので2度書きました)その稀有な才能を買われ、刑事技能指導員として現在再雇用されている。
シリーズの序盤では、警視庁捜一の新人刑事・高千穂明日香が、都内で起きた出版関係者絡みの殺人事件の調査で、毒島の助言を仰ぎ何なら一緒に捜査をするようにと、先輩刑事に命じられる。
「皆さんは行かないのですか」の明日香の問いに、先輩刑事を始め上司たちも歯切れが悪い。どうも、みんな毒島が苦手らしい。
おっかなびっくり、毒島に会いに行った明日香は、たちまち彼のとんでもない毒舌(これがまた、的を射ているから何も言えないんだよな)の言いたい放題、やりたい放題を目の当たりにすることになる。
先輩刑事の言葉によれば。
「あの人、小指の先から(容疑者の心を)へし折っていくような尋問するだろ」
「とにかく、人の弱点を瞬時に把握しちまうからな」
そうなのだ。毒島は取り調べの際に、暴力や大声など決して使わない。彼にはそんなものは必要ないからだ。彼には、言葉という無双の武器がある。
人を言葉で完膚なきまでに叩きのめすには何が有効か。
相手の一番痛いところをつくことだ。もちろん、それが何かは人それぞれだろうが、こと作家という人種には共通の弱点がある。
それは満たされぬ承認欲求と自己顕示欲。
そう、このシリーズでは、この欲求をとことんこじらせた作家(自称もしくは志望)たちが大勢登場する。
そのこじらせ方もさまざまであり、それに対する毒島の応対もさまざまで。
エンタメ小説だし、多少デフォルメされて描写も大袈裟、何より、毒島の毒舌のテンポがいいものだから、こちらも面白がってニヤニヤしながら読み進めていたら、途中でふと笑えなくなっている自分に気づく。
承認欲求も自己顕示欲も、別に作家を目指す人たちの専売特許ではない。おそらく人間ならば、誰でも持っているものだ。
うわっー。痛っ。
これ、私にも当てはまったり、する?
いやいや、私はまだ大丈夫、だよね?
うんうん。自分で気づけるぶん、まだ平気だ、と言い聞かせ、気を取り直して読み続ける。
このシリーズ、既刊本は3冊。
1巻目は、先ほど書いた、毒島と明日香の出会い編「作家刑事毒島」。
下読みの苦悩、編集者の受難、新人賞の呪い、愛読者という名のストーカー、原作冒涜、をそれぞれテーマにしたなかなかにブラックな、まあ、ご挨拶代わりの5篇の短編集。
2巻目は、エピソードゼロとでもいうか、
毒島が刑事を辞職するきっかけになった、とある事件を描く、これもまた思いっきりダークな連作短編「毒島刑事最後の事件」。毒島の人となりがより浮き彫りになる。
3巻目「作家刑事毒島の嘲笑」はもっと怖い。
今回毒島がその鋭い(鋭すぎる)毒舌で切る相手は、前作に登場するような、そう、「いつか人があっと驚くような大作を書いてみんなから注目されるようなビッグな作家に俺はなる今はまだ本気を出してないだけもしくは俺の才能に嫉妬した奴らの陰謀に邪魔されているだけさ」とか言ってる幼児のような(失礼)作家(自称もしくは志望)たち、だけではない。
少なくとも彼らは小説とか物語とか、自らの創作、作品によって自分の価値を認めて欲しいと熱望している。
だが、昨今のネット上には、自分の作品物ですらないもの、そして、より主語の大きな、真偽すら定かでないあるものを振りかざし、ひたすら承認欲求を満たそうとする、そんな人たちが存在する。
私はあまりネットは見ないのだけど、漏れ聞くところによると、どうもそういう人たちの原動力は怒りのようだ。
しかし、その怒りはどこに誰に向けられているか。そして、その怒りを人類全てが認める公明正大な正義と勘違いして、自分は安全なところから他者をめちゃくちゃに叩く「もの言う表現者」たち。それは、そんなに気持ちがよいものなのだろうか。
……と、ここまで書いて、また、うわ、と思った。
声が聞こえる気がする。
「おやおやおや、くなんくなんさん、いっぱしのこと、言っちゃって。そういう貴方だって、結局は同じじゃあないのかなあ。うふ、うふふ、うふふふふ」
毒島の毒舌にぶった斬られないうちに、ここまでにしておこう。
実は、今日、私の持っている第1巻の文庫の、奥付けをめくったところにこう書かれてあるのを見つけた。
「この物語は完全なフィクションです。
現実はもっと滑稽で悲惨です。
単行本の刊行から2年経過しましたが、状況は悪化の一途を辿っています」
中山さんの毒舌も、ますます磨きがかかっているようで。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
とにかく、嫌なことしか言わない毒島だけど、3巻目で初めて本音をチラリと漏らした。
「アジ(テーション)は一度聞けば残るのは要旨と印象だけ。
物語はテーマとともに読者の魂の一部になる。小説にして発表できれば、数万人の目に留まる」
この言葉は、作家中山七里さんに重なる、そんな気がする。
続編は、果たして出るのかなあ。
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まあ、とにかく、色々ありまして、なかなか読むのがきつい、苦いところもある作品です。
でも、解説にもありましたが、これは中山さんなりの、特大のエールなのかも、しれません。
度胸と興味のある方は、よかったら読んでみてください。