息をするように本を読む44 〜モンゴメリ「アンの娘リラ」〜
ルーシー・モンゴメリ著、村岡花子訳の赤毛のアンシリーズは全部で10巻ある。
アンの友人たちや近隣の住人の物語が書かれた2巻を除くと、アンファミリーの物語は8巻、そして、最後の2巻「虹の谷のアン」「アンの娘リラ」は、アンではなく、アンの子どもたちやその仲間たちがメインの登場人物になる。
シリーズ最後の「アンの娘リラ」はタイトルのとおり、アンの1番下の娘、リラが主人公だ。そして、アンシリーズの中では少し異質である。
リラは両親兄弟から可愛がられて育ち、気立てはいいが、少々わがままで自惚れ屋、末っ子にありがちな甘ったれたところのある少女。苦労知らずで、幼い頃のアンとは全然タイプが違う。
物語の冒頭、もうすぐ15歳になるリラにとって、この夏は特別に心ときめくものになるはずだった。
「私はもうすぐ15歳。来年は16歳になって、その次は17歳よ。これ以上、何を望むことがあって?」
リラは人生を心ゆくまで楽しむことしか考えておらず、これから先の4年も楽しいことしか待っていないと信じていた。
しかし、この年、世界中を揺るがす大事件が起きた。
第一次世界大戦の勃発である。
この頃のヨーロッパは列強国の勢力争いに起因して、もう何年もずっと不穏な状況が続いていた。
特に、ロシア、ドイツ、オーストリア、イタリアが支配権を争うバルカン半島は、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるほど一触即発の状態であり、そこに、さまざまな宗教的民族的な要因が複雑に絡まって、いつ何が起こってもおかしくない情勢だった。
そして、歴史の教科書に載っているとおり、サラエボでオーストリアの皇太子夫妻がセルビア人の青年に狙撃されて亡くなったことをきっかけに、オーストリア、ドイツがセルビア、ロシアに宣戦布告、後はフランス、ベルギー、イギリスと、怒涛のようにヨーロッパ全体が戦禍に巻き込まれた。
ヨーロッパの戦争が、なぜアンたちのいるカナダに影響を及ぼすのか。
このとき、カナダは独立国の体をとっていたが、実際は旧体制のままでイギリス帝国の一員だった。
「『老いたる白髪の海の母』をひとりで戦わせるわけにはいかない」
イギリスがドイツに宣戦布告をした翌日、カナダは義勇軍の募集を始めた。
海の向こうの母なる国イギリス帝国の危機を救おうと、大勢の若者が我先にその呼び掛けに応じた。
アンの息子たち、ジェム、ウォルター、シャーリー、も、それぞれの性格から経緯に違いはあれど、みんな出征していく。
残された女性たちは、胸が潰れるような思いをしながらも、彼らの無事を祈り、その銃後を守ることを誓うのだ。
このカナダ海外派遣軍による出征は4年間で62万人を数え、ほとんどが精鋭部隊として前線に送られて戦死者は6万人にものぼったという。
このときはまだ、カナダの若者たちだけでなく、世界中の人達も誰も知らなかったが、この戦争は今までとは全く違うものになった。
訓練された職業軍人たちが国境を争うだけのものではない。
科学の発達によって次々に新しい、より殺傷能力の高い兵器が開発され、どんどん使われていく。
飛行機、戦車、毒ガス、機関銃、そして、塹壕戦。
やがて戦争は、老若男女を問わず、全ての国民の生活、人生を巻き込み、敵国を叩き潰すまで国力を残らず戦争に注ぎ込む物量戦、消耗戦となる。
総力戦、と言われる現代戦争の始まりだったのだ。
ウォルターが言う。
「この戦争が終わる前にカナダ中の男も女も子どもも、1人残らず戦争を感じるようになるだろう。……そのために血の涙を流すことだろう。笛吹きが来たのだ。世界の隅々までその恐るべき拒むことのできない笛の音が渡るまで、笛吹きは吹き続ける。死の舞踏が終わるまでに何年もかかるだろうよ。そしてその年月がたつうちに何百万もの胸が張り裂けることになる」
ウォルターも、ジェムもシャーリーもその笛吹きの笛の音に従って出征した。
これまでのアンシリーズの作品とはずいぶん趣きの違うこの巻を、モンゴメリ女史はどんな思いで書いたのだろうとよく考える。
物語の中には反戦論者を悪者にしたり(彼の場合、確かに人格的に問題は多々あるが)、ウォルターの詩が新たに何百人もの若者を義勇軍に勧誘するのに使われたり、スーザンやリラが戦意高揚のためのスピーチをしたり、今読めば、首を傾げたくなる場面も数多くある。
しかし、モンゴメリ女史がこの物語を書いたのは、第一次大戦後からまだ数年のことだ。こう書くしかなかった。もしかしたら、もっと別に書きたいことはあったかもしれない。
大義のため、故郷を守るため、愛する人たちを守るため、自分たちは戦っている。カナダの若者たちやその家族らはそう信じていた。
しかし、彼らの戦った相手、ドイツやオーストリアの兵士たちもきっと同じことを考えていたはずだ。
戦場のウォルターからリラに送られて来た手紙は涙無しには読めない。
出征したジェムを駅で待ち続けるジェムの愛犬マンディの話も、読むと私はいつも胸がいっぱいになる。
この悲しみと痛みはいったい何のためなのか。
重たい話ばかり書いてしまったが、もちろん暗い話ばかりではない。
戦時中でも、人々は日常を暮らしていかなければならず、そこにはおかしなこと、ちょっと笑えること、ドキドキすること、ワクワクすることもいろいろ出来する。
アンはもうすっかり落ち着いてしまって以前のようなトンデモ失敗はしなくなってしまったが、代わりにリラと、それから家政婦のスーザンがいろいろとやらかしてくれる。
そこはいつものアンシリーズと同じで、思い切り笑ったり、ほっこりしたりできる。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
第一次大戦は1918年、ドイツで戦争に倦んだ民衆による革命が起きたのをきっかけに、連合国側の勝利となった。
この戦いの結果、全ての国がそれぞれに膨大な負債を背負い、その債務を敗戦国に負わせ、ドイツやオーストリアは塗炭の苦しみを味わう。そして、これがまた次の火種となっていくのだ。
ウォルターの言う、笛吹きの笛の音はしばし止んだが、この後20年ほど経って、各国はまた争いを始め、笛の音は再びより大きくより遠く世界の隅々まで響くことになる。
そして、今も、その笛の音は消えていない。
戦争には勝者も敗者もない。ただ、残るのは悲しみと痛みと憎しみと破壊だけ。
そのことを人類は早く学ぶべきだ。