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息をするように本を読む111〜「悲しみよこんにちは」フランソワーズ・サガン〜

 これまでの私の読書記事をお読みいただいた方は、今回のこの本のタイトルを見て驚かれるかもしれない。

 私は、本好きを標榜しながら(しているくせに)その嗜好にかなりの偏りがあって、いわゆる名作と言われる文学作品は(一部の例外を除き)ほとんど手を出してこなかった。
 読むのはいつも、ミステリー、ダークファンタジー、アクション、サスペンス、歴史時代小説、たまに漫画(それも青少年系)。
 そんな私が、いったいどういう心境の変化でこんな文学的な作品をとりあげたのかというと、それはラジオがきっかけだった。

 noteに何度も書いているが、私はラジオが大好きだ。特に好きなのが朗読番組。ただ、朗読される作品に興味が湧く場合もそこまで…の場合もあるので、毎回聞いているわけではない。

 先月、その番組でこの「悲しみよこんにちは」が取り上げられた。
 タイトルは聞いたことがあり、最初は正直、あーこれか、と思った(失礼)。
 今まで読んだこともこれからも読む予定も(そのときは)なかった。
 なので、これを逃すとこの先、触れる機会はないだろうし、これもチャンスかな、と思い、聞き始めたのだった。
 1回15分全25回。朗読は俳優の戸田菜穂さんだった。
 
 結論から言うと、聞いてよかった。
 とても興味深く聞けた、だけでなく、回を重ねるうちにどうしても読みたくなって、本屋へ走って文庫を購入し、ラジオを聴くのと並行して読んだ。

 耳から入ってくるというのは、読むのとはまた違う形で心が動くのだと、改めて思った。
 そしてそれは、戸田菜穂さんの声がこの物語にピッタリだったということもある。

 著者のフランソワーズ・サガン。
 1935年にフランスの裕福な家庭に生まれた。存分に甘やかされて育ち、そのせいかどうか非常に自由奔放でわがままな少女だったサガンは、いくつもの学校を転々とし、なんとかバカロレア(フランスの後期中等教育修了認定資格、あるいはその試験。これによって大学や専門学校への入学が認められる)を取り、ソルボンヌ大学へ入学した。
 文学少女だった彼女は、古典や文学作品を読み漁り、幼い頃から自分であれこれ文章を綴っていたらしい。 
 この作品「悲しみよこんにちは」は、サガンが19歳のときに書き上げた『衝撃の』デビュー作。
 
 何だかこのプロフィールだけで、私が自分からは絶対に読まないだろう系の作品、という感じが漂っているのだけど。
 甘やかされて育ったブルジョワ階級のお嬢さんが、思い切り突っぱって書いた青春私小説?みたいな、そんな印象だったのだ。

 物語の主人公はセシルという17歳の少女。ストーリーは彼女の一人語りで進む。

 広告の仕事をしている裕福なセシルの父親、レイモンは40歳。享楽主義でプレイボーイ(もう死語かな)。何年も女が途切れたことはないし、その誰とも半年以上続いたことはない。
 母親はずっと前に亡くなり、セシルと父親はとても仲がよかった。2人は、いわゆる似たもの同士なのだ。どちらも知性とか教養とかいう面倒な美徳をあまり重視せず、ただ感情のままに行動することを好む傾向で。
 人生は、何かを探すとか深めるとか、そういうことに費やすのではなく、ひたすら楽しみ味わい尽くす、そのためにあると考えている。
 物語は、セシルと父レイモン、そして(そのときの)レイモンの若い恋人エルザの3人で南フランスの海辺の別荘へバカンスを過ごしに出かけるところから始まる。
 だいたい、年頃の娘とのバカンス旅行に愛人も連れて行く、という時点でレイモンの人間性が知れるというものだが、セシルはそれに対しても「もう慣れた」の一言ですませてしまう。

 3人は毎日、昼近くまで寝坊したり海で泳いだり浜辺のデッキチェアで寝そべったりヨットに乗ったり。夜はバーやクラブに出かけてお酒を飲んで同じような連中と馬鹿騒ぎをしたり。そんな、何ともけっこうな(嫌味です)楽しい夏を過ごしていた。
 …この夏、わたしたちは本当に幸せだった。
 セシルがのちにそう回想する。
 
 こんな生活がそんなに幸せかどうかはわからないけど、とにかく、そんな平穏な『幸せな』日々にある日、変化が訪れた。
 セシルの亡き母の旧友アンヌが、レイモンに招かれて別荘にやってきたのだ。

 アンヌはセシルが2年前に寄宿学校を卒業して寮を出たときに、1週間ほど自宅に泊めて面倒をみてくれたことがあった。
 アンヌは、思慮深く理知的でしかもとびきり美しい女性で、当時のセシルはアンヌに熱烈な憧れを抱いていた。
 
 若い愛人を連れたバカンスに、いくら旧知とは言え、別の女性を招待するというのが何とも不思議だ。
 しかも、レイモンの愛人エルザは歳も若く、嗜好趣味教養その他全てにおいてアンヌとは違い過ぎる。気が合うとはとても思えない。
 セシルも少々戸惑うが、まあ、レイモンはそういう男だった。
 つまり、何も考えていないのだ。

 アンヌが別荘にやってきて、数日。
 彼女とエルザの間は表向きは穏やかで、今まで通り平穏な毎日が過ぎていく。
 でも、水面下でどんな火花が散っていたかはわからない。
 
 そして、事態は一変する。レイモンがアンヌと再婚すると宣言したのだった。
 
 セシルもいつまでも子どもじゃないし、素敵な大人の女性になるためにはちゃんとした躾けが必要だろう。
 アンヌはセシルと知らぬ仲でないし、賢くて落ち着いている。セシルの母親(代わり)にぴったりだ。
 それに、俺ももう40だ。いつまでもフラフラしている場合じゃなかろう。そろそろ落ち着いた生活をしたほうがいいのじゃないか。
 何より、アンヌは美しくてめちゃくちゃ魅力的だ。この女性を手に入れるなんて、すべての男にとって勲章だよな。

 とかどうとか、レイモンが考えたどうかはわからないが、とにかく、彼はアンヌに夢中になり、バカンスが終わってパリに戻ったら式をあげると言う。

 セシルは、ソワソワと浮ついている父親を眺めながら複雑な感情に囚われる。
 それは、父親の再婚に娘が抱く、ありがちな多感な想い、というのとは少し違っていた。
 この後、セシルはちょっとした企みを仕掛け、それがとんでもない結末を呼ぶことになるのだけれど。

 まず、セシルの父親レイモンがいろいろと、あり得ない。
 優しくて愛情深くて一緒にいて楽しいし、お金はたっぷりある。子どもから見たら理想的(?)な父親であり、ある種の女性には素敵な恋人なのかもしれないが、彼の享楽的刹那的で後先をまるで考えない行動は、大人のやることではない。おそらく男子中学生くらいの精神年齢のままなのだ。
 エルザはともかく、どうしてアンヌがこんなのを好きになったかが、私にはわからない。
 ただ、恋というのはそういうものかもしれない。恋に『落ちる』というではないか。
 いくら賢くて落ち着いた女性でも、いや、そうだからこそ、危ない。
 そういう女性から見たら、レイモンみたいなどうしようもない男は、それこそどうしようもなく魅力的なのだ。
 私の周りの女性がこんな男と結婚すると言い出したら私は全力で止めるだろうが、心の中では止めてもたぶん無駄だなと感じると思う。
 
 それから、セシルのこと。
 彼女は勉強は苦手だが頭がいい。そして、とても早熟で感受性が強い。ただ、その感受性は自分の心に向けられていて、他者に対するものではない。早い話、並外れて自分勝手なのだ。
 物語は、セシルが自分の感情を有り体に語る部分が大半を占めている。
 私は、登場人物の気持ちをあまりにつらつらと書かれたものは本当は好きではない。
 でも、このセシルのひとり語りはついつい引き込まれて読んで(聞いて)しまった。

 セシルの、父レイモンやアンヌ、エルザ、そしてボーイフレンドのシリルへの気持ちは、終始揺れ動き、昨日と今日の気持ちが全く正反対のこともある。
 あなた、それ、矛盾してるよね、と声をかけたくなるが、おそらくそれを言っても、彼女は黙り込むか、開き直るだけだろう。
 潔いほどの利己的さ、父譲りの享楽的で奔放な情動、若さからくると思われる繊細且つ赤裸々な語りは、ここまでくるとかえって清々しい気もする。
 人間、カッコつけていても、あけすけに語ってしまえば、みんなこんな感じかも、などとも思う。
 
 早熟なのか幼いのか、おそらくは両方なのだろう、そんなセシルの仕掛けた企みに、周囲の大人たちはみんな面白いように翻弄される。
 それを眺め、セシルはいつしかその企みの成就よりも、自分の言葉で人の心を思い通りに操り動かすことに、ゾクゾクするような快感、さらには周囲だけでなく自らをも傷つける甘美な後ろめたさを覚える。
 
 まったく、恐ろしく傲慢で残酷な、それゆえに一層魅力的な可愛い小悪魔。
 
 サガンも、かつてそう呼ばれたらしい。
 彼女がこの小説をわずか19歳で書き上げたとき、世間は主人公のセシルとサガンを同一視し、彼女を時代を象徴する新しい文学の若きアイコンとして、もてはやした。
 まだ20歳前の女の子は、たった1冊の本でパリ社交界の寵児になったのだ。

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 作品を聴き読むにあたり、サガンのことを少し調べてみた。
 この本以外にも幾つかの著書を著し、若くから莫大な収入を得ていたと思われる。
 しかし、彼女自身はお金に対する執着はなく、気前よくばら撒くように使っていたらしい。そんな人の周囲には、そのお金目当てのあまり褒められない種類の人間が集まりやすい。
 サガンはそんな連中と一緒にギャンブルや遊興、果てはドラックにも手を染めて、晩年はあまり恵まれた生活はしていなかったようだ。
 ただそれで彼女が不幸だったのかどうか、それはサガン自身に聞いてみないとわからないことだろう。

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ちょっと今日は熱が入りすぎて、長くなりました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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