息をするように本を読む64 〜山本周五郎「泥棒と若殿」〜
私は落語が好きだ。
ただ、そんなにいろいろと詳しいわけではないので、ファン、というのは少々図々しいかもしれない。
私が子どもの頃はテレビでもラジオでもよく落語が放送されていて、それを聞いたり見たりして興味を持った。
ライブで落語を見たのは一度だけだ。
私の通っていた高校では、予餞会と称して、年に1、2回、市のホールを借りて、全校生徒による映画やクラシックコンサートや日本芸能の鑑賞会をしてくれていた。
その中に、落語があったのだ。
演目は3つ。
笑福亭松葉さんの「子褒め」
桂べかこさんの「ときうどん」
桂枝雀さんの「夏の医者」
もう、ものすごく面白くて、全校生徒でこれ以上ないほど大笑いした。翌日、みんな腹筋が痛かったほどだ。
当たり前だ。後から改めて見返してみればそうそうたるメンバー。これをただで見せてもらったことには今でも感謝している。
このうちのお2人がもう鬼籍に入られてしまったとは、本当に惜しまれる。
ところで、私はラジオ好きで在宅中は台所のラジオがほぼ一日中つけっぱなしになっている。
一番よく聞いているラジオ局が、関西の放送局ということもあって、年に一度「上方落語を聞く会」という寄席を大きなホールで開催する。
昼の部、夜の部とニ部構成で、関西の若手やベテランの落語家さんが一堂に会し、なかなか盛大な会だ。
それをラジオで、一部だけれど中継してくれるので、それを聞くのを毎年楽しみにしている。
昨年のこの会で、笑福亭松喬さんという落語家さんの落語を聞いた(もちろんラジオで)。
後から聞いたのだが、松喬さんは「盗人松喬」と言われているそうだ。
別に松喬さんが泥棒を副業にしているわけではない。
盗人を題材にした落語を得意ネタとしているから、ということらしい。
この日の題目は「泥棒と若殿」。
山本周五郎氏の同名の短編を基に松喬さんが作られた創作落語だ。
私は夕食の片付けをしながら聞いていたのだが、いつしか手を止めて聞き入ってしまい、台所の椅子に座り込んで最後まで聞き終わる頃には布巾を手に涙をポロポロ流していた。
物語は、とあるオンボロ武家屋敷にひとりの男、伝九郎が盗みに入るところから始まる。
誰もいないと思って忍び込んだ屋敷の中は荒れていて目ぼしいものは何もない。
伝九郎が呆れていると部屋の隅で誰が動く気配がする。誰もいないと思っていたが、実は若侍がひとり寝ていたのだ。
信とだけ名乗った若侍はもう何日も何も食べていないという。伝九郎はなけなしの手持ちの金で食べ物を買ってくると米を炊き味噌汁を作り、若侍に食べさせる。
盗みに入ったくせにいったい何をやってるんだか。伝九郎、どうやら根っからのお人好しで世話好きらしい。そして、かなりのドジである。泥棒になろうとしたのも何かしら事情があるようだ。
信さんと名乗る若侍も、世間知らずで真面目で妙に育ちがよく、こちらも何か訳があるらしい。
放っておくとそのままでは餓死しそうな信さんを捨てておけず、伝九郎は外で力仕事をして日銭を稼いできては、食糧を買ってきて信さんの世話を焼く。
こうして訳あり同士の伝九郎と信さんの奇妙な共同生活が始まる。
生まれも育ちも全く違うこの2人のやり取りがとても面白くて、笑ってしまう。
噛み合っているようで妙にズレていて、それでいて心地よく温かい。
あまり育ちはよくないが心根が優しくてちょっとぶっきらぼうでおまけにドジな伝九郎と、いかにも良家の師弟で堅物のまだ若いお侍の信さんの声や話し方を巧みに使い分けた松喬さんの語りにどんどんに引き込まれる。
ラジオで声だけしか聞こえていないのに、決してきれいではないボロい座敷で温かい汁かけご飯を食べながらポツリポツリと話をしている2人の姿が目に浮かぶ。
毎日一緒に食事をして話をするうちに2人の間には信頼と友情が生まれる。
これまでの人生で重なる部分が全く無い2人の共通点は、孤独、ということだろうか。
2人は初めて、お互いがお互いを必要とする、心と心が通じる相手に出会ったのだ。
やがて2人のさまざまな事情が明らかになってくる。あー、やはり、このままではいられないのだろうな、このままではすまないのだろうな、と寂しい予感がする。
でも、もう少しだけ、もうちょっとだけ、この2人をここに居させてあげて欲しい。
そんなことを考えながら、松喬さんの落語を聞いていた。
およそ予想していた結末。
寂しいけど、決して悲しくはない。
涙がポロポロ出たが、心は温かくなった。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
後日、この落語噺の基になった山本周五郎氏の原作も読んだ。
ところどころ違っている箇所もあったが、ほぼ同じ。
読んでいると、登場人物の声が松喬さんの柔らかい語り口で、伝九郎の口は悪いが思いやりのある声、信さんの真面目で堅苦しいがどこかとぼけた若々しい声、がそれぞれ聞こえて、また、涙が出てきた。
いやー、落語って、ホントにいいものですねー。
***追記***
この、山本周五郎氏の原作「泥棒と若殿」は青空文庫で読めます。
そんなに長くないので、よかったら是非読んでみてください。
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