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息をするように本を読む67 〜柳広司「ジョーカー・ゲーム」他3冊〜

 この物語は表記の「ジョーカー・ゲーム」を筆頭に4冊からなるシリーズ物で、スパイを題材にしたものだ。
「ジョーカー・ゲーム」
「ダブル・ジョーカー」
「パラダイス・ロスト」
「ラスト・ワルツ」

 スパイが主人公の創作といえば、映画の007とか、ミッションインポッシブルとか、古いところではスパイ大作戦とか、がイメージされるだろうか。

 共通していることは、海外、それも欧米の話であること。そして主人公のスパイは皆、イケメンで女にモテモテ。
 金髪美女と洒落たバーでグラスを傾け、いざ銃撃戦が始まると、絶対に運動に向いてない高そうな革靴で走り、身体にぴったり合った高級オーダースーツで飛んだり跳ねたり。
 ド派手な秘密道具を駆使し、どこから出てきたんだ、というような厳つい愛銃をぶっ放して店はメチャクチャ。
 いや、ちょっと目立ち過ぎじゃないか、あんたたち。 
 そりゃ、めっちゃカッコいいけど。
 でも、そんなに目立ってしまっては、スパイの仕事にならないのではないのか。
 
 スパイの任務は秘密裡に集めた膨大な情報を分析し、その精度を確認しつつ本国に送り続け、国際社会における自国の立場を優位にすること。
 そして何より重要なのは、見えない存在、であるということだ。
 正体を知られたスパイに意味はない。いや、むしろ疑われた時点でアウト。
 銃撃戦などはご法度。行った先行った先で、女に手を出すなんてあり得ない。

 任務が終われば速やかに撤収。後には何も残さない。後から周囲の人たちに聞いても、「うーん。そう言えばそんなヤツいたっけ」というくらいでようやく合格点だ。

 スパイは、地味なものだ。決して、映画や小説のようなドラマチックな存在ではない。
 ただ、本当に優秀なスパイがもたらす貴重な極秘情報は一個師団にも匹敵する価値を持つ。

 かつて日本にも、情報勤務要員、つまり、スパイを養成するための学校があった。
 日中戦争が拡大し始めた1930年代、年々戦争形態が加速的に進化していく中、日本が謀略、諜報戦で諸外国に遅れを取ることを危惧して設立された。
 「陸軍中野学校」という。
 参謀本部直轄の軍学校で、諜報や防諜、プロパガンダなど秘密戦に関した教育訓練を目的としたものであり、もちろん実務も行っていた。
 構成員は、陸軍士官学校出身者もいたが、東大、京大など旧帝大を始め、東京外大、慶応など、普通大学の出身者も名前を連ねていた。むしろ、その方が一般人に擬態(?)しやすいので奨励されていた向きもある。
 その業務や学校の存在そのものも軍機密で、構成員は軍服の着用や敬礼、それにいかにも軍人に見える短髪は禁止されていたという。
 
 「ジョーカー・ゲーム」シリーズの舞台は、二次大戦直前、この中野学校をモデルにした「D機関」と呼ばれる架空のスパイ養成所。
 
 ここに集められたのは、陸軍とは縁もゆかりもない家庭の出身で普通の一流大学を優秀な成績で卒業した者たち。
 その中から、とてつもなく奇妙で苛烈なテストを幾つもくぐり抜けた十数人が選抜され、訓練を受ける。

 彼らに課される教育、訓練は多岐に渡っていた。
 記憶力、集中力の鍛錬は勿論、爆薬や無線、銃火器の扱い方、数カ国に及ぶ外国語の習得、航空機や自動車、船舶の操縦法。
 高名な大学教授を招いての、心理学、宗教学、薬学、生物生体学、物理学、その他さまざまなジャンルの講義や議論。
 服役中のスリや窃盗犯による金庫破りなどの実技指導、ダンスやビリヤードの練習、奇術師によるマジックの伝授、はてはプロのジゴロによる女性の口説き方レッスンまで。
 
 これら全てを短期間でクリアした、化け物のようなハイスペックを持つ第1期生は12人。
 
 彼らは国内で「卒業試験」ともいえる任務につき、その能力を認められた後に諸外国でさまざまな任務を遂行していく。

 主人公は、うーん、誰だと言えばいいのだろうか。

 なぜなら、スパイには名前がない。
 便宜上、何らかの名前を名乗り、いちおうの経歴もあるのだが、全て偽物だ。
 そんなものはスパイ業務を行う上で必要ないし、むしろ邪魔になるだけだ。
 彼らの本名と本当の経歴を知っているのは、このD機関の発起人であり、機関を束ねている結城中佐だけ。(この結城という名も本名かどうかはわからない)
 任務が決まったときに初めて、その任務で演じるべき人間の名前と経歴が与えられる。
 
 だから、物語の中での彼らの名前、経歴は全てフェイクなのだ。

 結城中佐が口癖のように繰り返す言葉。

 スパイは、死ぬな、殺すな、とらわれるな。

 スパイの任務は、あってはならないことだが、失敗することもある。でもそうなっても、並の軍人のように自決することは最悪の選択だ。
 自決しても何の解決にもならない。そして、逃げるために相手を殺すことも同様だ。
 スパイの価値が問われるとき、それは平時だ。平時において「死」は目立ち過ぎる。
 スパイにとって何よりも致命的だ。
 
 国益のためにはためらいなく敵を殺し、いつでも生命を投げ出す。もし捕われて捕縛の屈辱を受けるくらいなら自決を選ぶ。
 そう叩き込まれる一般軍人たちとは、全く真逆の立ち位置。
 だから、「D機関」のメンバーたちは陸軍大学校出身の生え抜きの将校たちに蛇蝎の如く嫌われている。

 とらわれるな、とは、捕まるなという意味ではない。
 軍人や外交官という立場、天皇制や軍隊の序列というシステム、そんなものは後から貼られたレッテルに過ぎない。いつでも剥がれ落ちる、そんなものにとらわれるな。
 何かにとらわれて生きることは容易だ。
 ただ、とらわれた人間は目の前の真実を見ることはできない。
 
 自分の目で世界を見る責任を放棄するな。 
 いかなる時も自分自身であることを放棄するな。
 徹底的リアリスト、であれ。
 
 これは、何にもとらわれない、強烈な自負心と能力を持ったスパイたちの孤独で最高にクールな物語。

 とにかくもう、カッコいいのだ。
 
 
 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 それぞれの巻は、全て4つか5つの短編で構成されている。上海事変やパリ占領、仏印作戦、満州鉄道など歴史上の事実が題材になっているものもあり、その背景は史実に基づいているが、大戦史に詳しくなくても大丈夫。
 歴史的順番のとおりに物語は必ずしも並んでいない。D機関のメンバーの1人が、日本海軍の真珠湾奇襲攻撃によって太平洋戦争が始まったニュースをラジオで聞くシーンがラストにある篇があって、それが時系列的には最後になる。

 スパイは、自国の立場を少しでも有利に導き、国家間のパワーバランスを保つために働く。
 そのために命をかけて集めた情報を本国に送る。
 戦争は始まった時点でほぼ勝敗は決している。軍事行動を含む外交戦略は戦争が始まる前でこそ有効だ。
 戦争が始まってしまってはもうスパイの存在意義はないと言っていい。

 どんなに優秀なスパイがどれだけ価値のある情報をあげても結局、それを使うのは上の人間、ということだ。
 

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