息をするように本を読む60 〜高木徹「戦争広告代理店」〜
「PR」という言葉がある。
public relationsの略だ。
よく耳にする言葉だが、日本にはぴったりはまる言葉がない。
一般に、行政機関では「広報」、民間では「PR」という言葉がそのまま使われている。
日本パブリックリレーションズ協会の定義では、
「組織とそれを取り巻く人間(個人、集団、組織)との望ましい関係を作り出すための考え方、及び行動のあり方」
とある。
組織とその周囲との『望ましい関係』とは何か。
その組織の正当性、つまり、他より優れているとか合理的であるとか『正しい』とか、を認めさせること。
例えば、メーカーが自社製品のほうが他より性能がいいとPRすることは普通にあることだ。
洗剤の汚れ落ちがいい、掃除機の音が小さくて吸引力が持続する、炊飯器のご飯がふっくら炊ける、等々。
でもそれが、国家間の紛争の場合ならどうだろうか。
まるで掃除機の機能の良し悪しを決めるように、どちらの国、どちらの陣営が「正しい」かということが、PRによって決まってしまうとしたら。
この本「戦争広告代理店」は、NHK報道局ディレクター高木徹氏が、2000年に放送されたNHKドキュメンタリー番組『NHKスペシャル「民族浄化〜ユーゴ・情報戦の内幕」』を制作するにあたり、ボスニア・ヘルツェゴビナ側の広報活動を請け負った米大手PR企業ルーダー・フィン社の幹部社員(当時)のジム・ハーフ氏やその他の関係者に対して行った取材を基に書かれたドキュメンタリーである。
サブタイトルを「情報操作とボスニア紛争」という。
かつてバルカン半島にユーゴスラビア連邦共和国という国があった。
20世紀ももうすぐ終わりという頃、この国では幾つもの民族紛争があった。その最も悲惨なもののひとつが、ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニアとする)紛争である。
この紛争は幾つもの要因が複雑に絡み合っていて、説明しているととんでもなく長い話になってしまう。
なので、説明し足りないところも多々あると思うがそこはお許しいただきたい。
ユーゴスラビアは、6つの共和国で形成されていた。民族は5つ、もしくは6つと言われているが、それは言語、文化、宗教の違いだけで、元々は皆、南スラブ人である。
ボスニアはその6つある共和国の中のひとつで、セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人が、ほぼ同率の割合で住んでいた。
1991年、イスラム教徒であるボシュニャク人を中心としたボスニア独立運動が起きた。
ユーゴスラビア連邦からはスロベニア、クロアチアの2共和国が既に独立し、連邦は解体の危機を迎えていた。そしてその状況下でのボスニアの独立をユーゴスラビア連邦政府と連邦のリーダー的立場のセルビア共和国政府が許すはずがなかったし、ボスニア国内のセルビア人たちも反発した。
あくまでボスニアの独立を主張するボシュニャク人と、セルビア共和国の支援を頼みにするボスニア国内のセルビア人との間で激しい紛争が起こる。
軍事装備では、ボシュニャクはセルビア勢力に敵わなかった。ボスニアの首都サラエボは武装包囲され、連日砲撃を受けた。
ボシュニャク人は強制収容所に連行され、拷問や暴行、その他、筆舌に尽くしがたい残酷な扱いを受けた。
セルビア人によるボシュニャク市民への迫害と大量虐殺。
こんなことは許されるべきではない。今こそ、国連や各国の政府は動くべきだ。
アメリカやヨーロッパのメディアはこぞって、そう報道した。新聞やニュースには、セルビア人の非人道的な所業を告発する記事が写真や手記と共に躍り、ボシュニャク人の悲惨な運命が語られた。
国際世論は反セルビアに傾き、大々的な経済制裁が行われ、1992年にはセルビア共和国とユーゴスラビア連邦共和国は国連を追放された。
それでも紛争は解決せず、1995年には、セルビアの首都ベオグラードにNATOによる空爆が行われた。
完全に勢いを失ったユーゴスラビア連邦とセルビア共和国は、アメリカの仲介による和議講和を受け入れてボスニアの独立を認め、ようやくこの悲惨な紛争に終止符が打たれた。
ボスニアは、甚大な被害を受けつつも勝利し、独立を果たした。
軍事力で劣るボスニアがセルビアに勝ったのはなぜか。
それは国際世論がボスニアに味方したからだ。
世界に対しボスニアの窮状とセルビアの残虐行為を訴えたのは、ボスニアの外相シライジッチだ。
そしてシライジッチと契約し、この紛争に於いてボスニアをより優位にするために彼を支援したのが、ルーダー・フィン社とその幹部だったハーフだった。
アメリカには、フィン社と同様のPR企業が何千社と存在する。
そのどれもが、自社のクライアントの利益のために社のプライドをかけて、しのぎを削っている。
シライジッチは元々は政治家ではなく大学の教授でアメリカ留学の経験もあり、流暢で知的な英語を話し、外見も洗練されていた。
メディア的には受けるはずだ。
ルーダー社のハーフはそこに目をつけた。
バルカン半島の紛争は最初、アメリカにとっては完全に対岸の火事であり、どちらに味方をしても何の国益も生まない。腰が重くやる気のないアメリカ政府を動かすには、起爆剤が必要だった。
ハーフはシライジッチを、まだ生まれて間もないバルカンの小国である祖国を救うため、独裁的な宗主国の無慈悲な権力者によって虐待を受けて今しも生命の危機にさらされている同胞を救うため、アメリカに単身やって来て東奔西走している外相、としてメディアに向けて紹介した。
ハーフはシライジッチに、世界にセルビアの暴虐とボスニアの苦境を訴える舞台を次々と用意した。米国の政界、財界、大手メディアの有力者に働きかけてシライジッチと対談させた。
メディアに流す記事の言葉選びにも細心の注意を払う。
当時、爆発的な効果を上げた言葉がある。
それは「民族浄化(ethnic cleansing)」という言葉。
ある特定の民族の存在を、害を成すものととして消し去る、という意味だ。
この言葉はヨーロッパに、あの大戦での未だ消し難い悲惨な過去を想起させる。
この効果は絶大だった。
これによって、セルビアは完璧な「絶対悪」のレッテルを貼られ、国際世論には残酷で非人道的で悪魔のようなセルビアとその被害者ボスニア、のイメージが刻み込まれた。
誤解のないように言っておくが、セルビア勢力がボシュニャクの人々に対して行った残虐行為がルーダー社による捏造だ、などということはない。
幾多の許し難い行為が数多く行われたことは、間違いなく厳然たる事実である。
しかし、強制収容所はセルビア側だけでなくボスニア側にもあったこと、クロアチアの独立紛争の際にはセルビア人の一般市民の生命もたくさん失われていること。
そういう事実は、このときには報道されていない。
バルカンの民族紛争は、歴史的背景が根深く複雑で、単純にどちらが悪い、どちらが正しい、とは言えないことを多くの学者や国連の軍事関係者、ジャーナリストが理解していた。
しかし、ルーダー社のPRによって高まった国際社会の絶対的セルビア悪者説の前に、誰もそれを公言する者はいなかった。
いや、ごく少数いるにはいたが、彼らはあっという間に、世論の非難糾弾の渦に呑まれた。
なぜか。それは、そうなるように仕向けられたからだ。
セルビアの言い分も聞くべきではないかと主張する人物の情報を「悪魔の如きセルビアを弁護、或いは擁護している人間がいる」と、各方面に流せばいい。
シライジッチとハーフは、砲弾ではなく、情報をそれに替えて、戦いに勝利した。
ただ、それは国家としての勝利であって、家族を亡くし家を失い傷ついた国民にとってはどうなのだろう。
現代社会には情報が溢れている。技術革新によって、その量は増えるばかりだ。
それを受け取り、考え、判断するのは人だ。それも大多数がごく普通の一般人。
誰かに整理整頓してもらわなければ、溺れてしまう。
だが、その整理整頓作業に、何らかの主観や恣意が含まれている可能性はないか。
なぜなら、その作業をしているのもまた人間であり、PR企業にとってはビジネスなのだから。
繰り返すが、この紛争で多くのボシュニャク人が受けた被害は否定できない事実だ。
そして、PR企業の介入がなければ、この悲惨な紛争がここまで世界の注目を集めないままに泥沼化してしまったかもしれないことを考えると、企業の果たした重要な役割も理解できる。
ただ、もし、このときのルーダー社のクライアントがボスニアではなくセルビアだったら、どうなっていたのだろうか、とふと、思う。
国家間の紛争が、ビジネスのネタになることがある。その事実に愕然とする。
ユーゴスラビア紛争では、何十万もの命が失われた。そして、それ以上の数の人々が生涯消えない傷を負う。
その多くが、女性と子どもたちを含む武器を持たない民間人であり、それはどの陣営でも同じだ。被害者は国ではない。無辜の民。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
次女が借りてきたこの本に私が興味を持ったのは、以前に読んだ米澤穂信さんの「さよなら妖精」という小説を思い出したからだ。
ボスニア紛争の起きる前年、ある目的を持ってユーゴスラビアから日本にやってきた17歳の少女マーヤと日本の高校生たちとの交流と日常の小さなミステリーが描かれる。
読後、ユーゴスラビアの歴史に興味が湧き、少し調べてみたりもした。
その数年後にこの本を読む機会があったのは不思議な偶然だったと思う。
「さよなら妖精」については、また日を改めて書いてみたいと思っている。
*追記*
この記事を書いて推敲しているとき、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。砲弾と国家の思惑、交錯した情報が飛び交う。
また、国家体制、主義、民族、安全保障、歴史的確執、パワーバランス、の名の下で多くの人の生命と人生が失われている。
こんなことは、もうたくさんだ。
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