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息をするように本を読む56 〜武者小路実篤「友情」〜
これを読んでいただいている方の中で、短冊や色紙に野菜や果物の水彩絵と一緒に、いかにも味のある文字で「仲よきことは美しき哉」と添え書きされているものをご覧になったことがある方はおられないだろうか。
私が小学生の頃、友人や親戚の家の玄関先や台所の柱や壁に、そういう短冊や色紙が入った額が掛けられていることがよくあった。
絵の下には「実竹馬」と印が押されていた。
それが「実竹馬」でなく、縦書きの「実篤」であり、武者小路実篤のことだと知ったのはもう少し大きくなってからのことだった。
武者小路実篤は、明治、大正から昭和にかけての小説家だ。詩人、画家でもあったらしい。
武者小路(むしゃのこうじ)という姓から察せられるとおり華族の出身で、学習院高等部卒業、東京帝大中退、いわゆるいいところのボンボン、である。
実篤氏は、大正デモクラシー前夜の自由闊達な空気の中、恵まれた環境の中で充分な教育を受け、トルストイや夏目漱石などに傾倒し、典型的な文学青年に成長した。
学習院高等部の同級生だった志賀直哉と語らって文学の同人誌を作り、やがて、進学した東京帝大を中退した後、有島武郎らと共に文芸誌「白樺」を創刊する。
彼らは、人間肯定、人道主義を掲げ、階級闘争のない理想郷実現のために、仲間たちと宮崎県に「新しい村」という共同体を作った。
彼らのことをその同人誌の名をとって「白樺派」と呼んだりする。
「友情」は、実篤氏のごく初期の作品だ。
ストーリーは至って単純。
主人公は野島という、小説家(脚本家?)志望の青年。
内向的で少々偏屈、あまり人付き合いの上手くない彼が、一目惚れをした。
相手は、文学仲間、仲田の妹、杉子。
可憐で美しく聡明な杉子は、交友関係の広い兄、仲田の友人たちの間でも人気があり、マドンナ的存在だった。
焦った野島は、ただ1人の親友、大宮に自分の気持ちを打ち上げて相談する。
大宮は、野島より年上ですでに脚本家として世間にその名を知られつつあり、その実家も裕福で、全てにおいて野島より立場が上だったが、偉ぶることもなく、常に野島の良き友であった。
このたびの、根暗で奥手の野島の恋愛相談についても、からかったりすることなく、いつも真摯に話を聞いて励ましてくれた。
だがしかし…。
これはカテゴリー的には、恋愛小説とか青春物、というものなのだろう。
しかし、現代の、複雑な恋愛模様や青春のヒリヒリするような痛々しさ、心理描写がもっとドロドロと、或いは赤裸々に描かれているものとはずいぶん違う。
爽やか? 健全? 真っ当?
ストーリー自体にもあまり仕掛けがなく、現代小説に慣れている読者にはちょっとばかし物足りないかもしれない。
小説のタイトルに「友情」と銘打っているところから、著者は、余計な斟酌はせずにただ友を信じることが真の友情であり、そしてまた、それに応えることが、男の友情だ、みたいなことを描きたかったのかもしれない。
でも私は、この2人の男たちの友情、よりも、野島の恋の相手、杉子という女性の行動に心が動く。
私は最初、この杉子というヒロインを、夏目漱石の「坊ちゃん」のマドンナや「こころ」のお嬢さんと同じようなあまり個性のない、悪く言えばお人形のような女性、だと思っていた。
しかし最後まで読むと、杉子はただ美しいだけのマドンナではなかったことがわかる。
この時代、たとえ良家の子女であっても、いや、だからこそ余計に、自由恋愛などは許されず、女性は親や親戚の決めた相手と結婚するのが当たり前だった。
杉子も、女学校を卒業したら、ある程度の花嫁修行を経て、どこか親の決めた家に嫁入りするはずだったのだろう。それが悪いとは言わない。この当時の女性は皆そうだったのだろうから。
しかし、杉子はそういう女性ではなかった。
自分の思いと意思をしっかり持ち、それを言葉にし、更に行動する、実に強かで現代的な女性だった。
物語後半で、彼女が書いた「怒らないでください。…」で始まる手紙はラブレターのお手本のようだ。
何のてらいもなく素直に自分の心を綴りながら、最後は思いを全て開示して、さあ、あなたはどうなさいますか、と、まるで挑んでくるようだ。
この時代にあって、武者小路実篤のまわりに、杉子のモデルとなるようなこういう女性がいたのか、それがとても気になるところだ。
何にせよ、この物語には悪者は登場しない。
嫉妬に駆られて人を貶めたり、策略を巡らせて利己的に働いたり、そういう人間は一切出てこないのだ。
この、やたらと清廉で爽やかな作風は、どうやら白樺派の特徴らしい。
白樺派は、天衣無縫、人間礼賛、人間肯定、を掲げており、一部では理想主義に走り過ぎだとの批判も受けている。
この何というか、世間知らずな素直さは、やはり育ちの良さからくるのかも、などと思ったりする。
ドロドロした人間の暗部や闇を描いた複雑な味わいのカクテルも面白いが、たまには日の光にキラキラ輝くミネラルウォーターのようなこんな作品もいいのでは、と私は思う。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
武者小路実篤氏は二次大戦の少し前に、欧州に留学し、そこで屈辱的な黄色人種差別を経験する。その頃の欧州では日本の中国政策がかなりの批判を浴びていたので、さもありなんとは思うが、彼はかなりショックを受けた。
その体験からか、帰国後はそれまでの反戦主義をがらりと変え、戦争推進派になったという。
戦後、戦争協力者として非難された事もあったそうだ。
実篤氏は昭和51年に亡くなった。享年90歳。
願わくば実篤氏の晩年が、青年時代の無邪気な光と理想を取り戻したものであればいいなと、思う。
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