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息をするように本を読む121〜米澤穂信「黒牢城」〜

 数年前にこの作品が、今村翔吾さんの「塞王の盾」と直木賞をダブル受賞したときから、読みたいなあ、早く文庫にならないかなと、ずっと思っていた。

 先日、たまたま出かけた書店で、何ということでしょう、「黒牢城」と「塞王の盾」、どちらも文庫になって平台に並んでいる。しかも後者は上下巻で2冊。
 一度に3冊はお財布的にきついなあ、どちらかひとつにしなくちゃ、と思って、散々悩んだあげく、結局、2作品とも、3冊を抱えてレジへ。(克己心とは)
 
 米澤さんは以前から好きな作家さんだし、今村さんはラジオで話されているのを何度か聴いて面白い人だなと思っていて、ぜひ作品を読んでみたいと考えていた。だから、少々の散財はこの際、いいことにしよう。
(相変わらず自分に甘い…)

 帰宅してまず、こちらの「黒牢城」のページをわくわくしながら開く。
 米澤さんの初の時代小説とのこと、めちゃくちゃ楽しみだ。

 物語の舞台は、戦国時代真っ只中。
 大河ドラマなどでよく知られている、豊臣秀吉の名軍師、黒田官兵衛が、同じく名の知れた戦国武将で盟友の荒木村重が守る伊丹の有岡城にやってくるところから、始まる。

 村重は、官兵衛や秀吉と共に、織田信長の天下布武の実現のために長く戦ってきた。
 関東の武田、上杉を制し、近江の浅井、朝倉を平定した今、織田に対抗できる力を保持している勢力はふたつだけ。
 ひとつは一向門徒衆。この恐ろしいまでの求心力と団結力を持つ宗教集団は、「進めば極楽、退かば地獄」の幟を掲げて大坂本願寺に集結し、織田に刃向かう。
 今ひとつは、山陰陽十州を領する中国の雄、毛利。
 この2大勢力が結んだ対織田の連携を分断するために、ここ有岡城は絶対に必要な要害なのだ。
 その村重が毛利側に寝返り、有岡城に籠城するという噂が流れた。その真偽を確かめ、もしそれが真ならば、村重を説得して翻意させるために、村重とは昔馴染みの官兵衛が、戦支度で殺気立っている有岡城に単身乗り込んできたのだった。
 官兵衛の命懸けの説得に村重が応じることはもちろんなく、官兵衛は捕らえられてそのまま、有岡城が落城するまでの間、地下牢に1年も幽閉されることになるのは有名な話。

 この、蟻の這い出る隙間も這い込む隙間もなく固く閉ざされた有岡城で、4つの不可解な事件が連続して起きる。
 
 織田に対する謀叛を決めて直ぐ、謀叛に乗り気だったはずだった家臣の1人が裏切った。村重はその嫡男を人質にとっており、武家の慣いとして人質は斬首としなければならない。
 その人質が、斬首される前に胸を刺されて死ぬ。が、しかし、人質を幽閉していた場所は密室で誰も近づけないし、もちろん人質には刃物を持たせていないので自害でもない。
 誰が何のために、どうやって人質を殺したのか。

 籠城が始まってしばらくして、城の近くの沼地に急場拵えらしい砦が築かれていた。放置すると面倒なことになる。
 村重たちはその不審な砦に夜討をかけて、何人かの首級を上げる。その中に思いがけず、名のある大将首があるとわかり、首実検をしたが、どれだかわからない。どうやら、何者かにすり替えられたらしい。
 誰が、何のためにそんなことをしたのか。
 
 この他にも次々とわけのわからない事件が起きて。
 
 どの事件も、平時であればともかく、この緊急時では、そう大した事件ではない。
 いずれ死ぬことになる人質が殺されたことも、討ち取ってきた敵の首が夜討のゴタゴタで入れ替わってしまったことも、由々しきことではあるが、戦の最中、そこまで気にしなくてもいいような気もするのだけど。

 しかし、村重には、これらの事件を偶然が引き起こした些事とは思えない。誰かが裏で何らかの意図を持って動いているのではないかと疑心暗鬼に駆られる。
 こういう瑣末な疑惑が積み重なるうちに、家臣たちの心の中に主君である自分に対する疑念や失望や軽侮が溜まっていき、やがてそれが城内の大きな綻びとなるのではないか。
 城は人。人が城をより強固にする。
 綻びを抱えた城は、容易に陥ちる。
 そもそも村重は、この有岡の元からの城主ではない。この地を父祖の代より支配している豪族とか国衆でもない。
 戦国の世にありがちな、あちらの主君、こちらの領主というふうにあちこちを渡り歩き、勝ち続けることでここまで成り上がってきた。
 家臣たちもその過程で自分に従ってきた者たちばかりで、昔からの子飼い、というわけではない。
 今このとき、自分が主君としての立場、優位性、カリスマ性を失えば、間違いなくこの城は瓦解する。
 
 考えてみれば戦国武将といえど、家臣たちの心を掴み、常にその尊敬を集め、家中の士気を保つのは、何と難しいことか。
 主だった重臣たちの顔色だけでなく、側仕えの小姓や足軽、城内に漂う空気にまで気を遣う。ほんとに大変だ。
 (現代の大企業の管理職みたいだ、とちょっと思った)
 
 不安でたまらなくなった村重が、この瑣末だが難解な事件たちの謎を解くために頼ったのは、誰あろう、自分が地下牢に幽閉した官兵衛だった。
 そう、これは時代劇のカタチをとった安楽椅子ならぬ地下牢探偵、官兵衛の話。
 村重は、官兵衛の助言によって、4つの事件の謎とその裏に隠れたある真実を知る。
 そして更に、読者はこの物語の抱える最も大きな謎の真相を知ることになる。
 

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 歴史の中には、学者や研究者たちはもちろん、素人の歴史ファンたちが真相を知りたがっている謎多き事件が、数多ある。
 たとえば、源頼朝の死。
 たとえば、本能寺の変。
 たとえば、坂本龍馬の暗殺。

 そして、この荒木村重の謀叛も謎だ。
 村重は、これまでに多くの武功を立てて信長にも気に入られていたし、織田の世になったら、重く用いられることは自明だった。どうしてわざわざ、火中の栗を拾おうとしたのだろう。
 加えて、翻意を説得にきた官兵衛をなぜ、生かしておいたのか。意に沿わぬ使者はその場で切り捨てるか、そのまま追い出す。それが戦国の定法だ。意味がわからない。
 しかも、織田に刃向かうと決めて1年も籠城したのに、落城寸前に村重は自分だけ城を逃げ出して一族郎党家臣全てを見殺しにし、晩節を汚している。これも、なんだか村重らしくない。
 
 物語の終盤、この謎が解ける。
 もちろん、あくまで米澤さんの物語の中で、ということなので、事実かどうかはわからないのだけれど。
 でも、ひょっとしたら、ここに書かれたとおり、なのかもしれない。
 きっと、こうだったのかも。
 そう思わせられる。
 米澤さん、やっぱり物語の名手。

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