息をするように本を読む54 〜坂木司「青空の卵」他2冊〜
坂木司氏の作品は「和菓子のアン」シリーズのほうがより知られているかもしれない。
この小説「青空の卵」は作者のデビュー作で、やはりシリーズになっており、あと2冊「仔羊の巣」「動物園の鳥」がある。
この物語は正直なところを言えば、好き嫌いが分かれるのではないかと思う。
ジャンルはいわゆる日常系ミステリー、というもので、殺人事件などは起きない。残酷な場面や描写も全くない。
登場人物もみな、基本的にはいいヤツで根っからの悪人はほぼ出てこない。
主人公のひとり語りも、全体にほのぼのと優しい。
なのに、この不思議な、何だかよくわからない、悲しさに満ちた切なさは何なのだろう。
そして、なんと言えばいいか、この、少し苛々するようなじれったさは。
主人公は坂木司。作者と同じ名前の青年。
外資系の保険会社の営業マン。
彼には大事な友人がいる。
鳥井真一。
中学高校の同級生。
鳥井は、さまざまな諸事情によって中学時代に不登校となり、それ以来引きこもり気味だ。人と対面で会わないですませるためにありとあらゆる手段を講じる手間を惜しまない。
そのために選んだ仕事は在宅コンピュータプログラマー。
買い物は全てネット注文。
散髪も自分でする。ただ前髪は、切るのに
少し自信がないので、いつも少し長め。
そんな鳥井の唯一の友人が坂木。
坂木の勤務先は比較的休日や勤務時間の融通が効きやすい。
放っておいたら全く外出しない鳥井を、休日になるたびに坂木は生鮮食品を買いにいくという名目で徒歩数分内のスーパーへ連れていく。
休日以外でも、昼休みや退社後はだいたい、鳥井のマンションを訪ね、一緒に食事(引きこもりインテリに有りがちな料理好きの鳥井の手料理は、めっちゃくちゃ美味い)をしながら外で見聞きしたいろんな人たちの話を、外との接点を持たない鳥井に話して聞かせる。
穏やかで話しかけやすい坂木には、いろんな相談、ときにはちょっとした謎やトラブルが持ち込まれ、ともすれば坂木自身が、その渦中に巻き込まれることもある。
鳥井は、そんな数々の問題を坂木から聞いた話だけで、アームチェアディテクティブよろしく鮮やかに解明してみせるのだ。
その謎たちは、それに関わる人々の心の中の悲しみや思い込み、密かな怒りなどに起因してることが多く、皆、鳥井にそれを指摘されて自ら決着をつけたり、すぐには無理でも何かしら解決への糸口を探ったりして、ほとんどが良い方向に向かう。
中には事件(?)解決後も、何が気に入ったのか、坂木と共に鳥井の部屋に頻繁に訪れたり、2人を自分宅に招いたりする者もいる。
ここまで書くと、そうか、これは引きこもりの名探偵が、友人のワトソンの助力を借りて日常の小さな謎を解決していくことによって、段々と人と関われるようになる、ほっこり成長物語なのか、と大多数の方々は思われるだろう。
しかし、事はそんな単純ではない。
最初、物語を読み始めたときは、完全に坂木が鳥井の面倒をみているように思われた。
鳥井は人間アレルギー、というか、人間恐怖症だ。
その鳥井と外の世界を繋ぐ唯一の橋が坂木。鳥井にとって、世界の全ては坂木を通じて入ってくるものであり、坂木を介在しないものはないのと同じ、だった。
だから、鳥井の心は坂木の気持ちに連動して揺れる。まるで幼な子が母親の心を読むように。
しかし、物語が進むにつれて、坂木の尽力もあってか、鳥井は坂木を介在させずとも外の世界と交流できるのではないか、と坂木は感じ始める。鳥井はまだそのことに気づいていない。
坂木は、嬉しさと共に心を切られるような痛みを感じる。
そう、依存していたのは、鳥井だけではない。坂木もだ。そして、坂木はそのことに自分でも気がついている。
自分のことを穏やかで素直なだけで何の取り柄もないと思っている坂木は、感受性が強く非凡な才能に満ちた美しい野生動物のような鳥井に憧れ、その唯一の友人として鳥井の側にいることに依存している。
だから、鳥井が自分と関わらないところで外の世界への道を見つけることが、坂木には嬉しいのと同様に苦しくなるのだ。
この物語に登場する人物は、坂木や鳥井も含めて、全体的にめんどくさい(あ、言っちゃった)。
目一杯愛されているのに、それに気付かず1人で傷ついている人がいる。
目一杯愛しているのに、それを表に出せず、それによって相手が傷ついているのを見て、更に傷つく人がいる。
2人の思いはすれ違って、傷は深くなるばかり。
過去の辛い体験から、正しいと人から見えているだろうと思えることが行動の動機になっている人がいる。
その人は、自分が本当はどうしたいのか、もうわからなくなっている。
目の前の人に助けの手を差し伸べることを、相手の気持ちを考え過ぎて、ためらい、悩み、落ち込む。
あー、もうめんどくさい。
どうしてみんなそんな堂々巡りをするのか。
なぜ、人の心というやつはかくも複雑でややこしいのだろう。
物語の最後に、坂木はある決断をする。
それは彼にも、もう1人にもつらい決断だった。
果たして、それはどんな結末を呼ぶのか。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
この文庫の解説で、有栖川有栖氏は、はっきり「鳥井を好きになれない」と書いている。単行本の解説を書かれた、はやみねかおる氏も「好きになれなかった…」と言われたそうだ。
引きこもりだといいながら、人を人とも思わない傍若無人な物言いや振る舞いをする。自分も傷つきやすいくせに、人のことを平気で傷つけるような発言をする。
最悪だ、と。
でも、私は鳥井のことが嫌いになれない。
自分を守るため、ガチガチの鎧で周囲を固めた群れない寂しい獣。
悲しくもいびつな美しい野生動物。
私の中にも坂木がいる、のかもしれない。
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