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息をするように本を読む70 〜伊藤計劃「ハーモニー」〜


 病気や悪意が完全に排除され、全てが善意と優しさと調和に満ちた世界。
 そんな世界が実現することを希求しない人間が、果たしてこの世にいるだろうか。

 この物語の主人公はトァンという28歳の日本人女性。
 WHO「世界保健機構」の中の生命監察機関、螺旋監察官事務局の上級監察官。
 
 21世紀の後半に差し掛かった世界は、個々の国家政府が支配する資本主義的消費社会から、ジュネーブ条約によって結ばれた「生府」と呼ばれる、より小さな医療合意共同体が統べる医療福祉社会へと変貌していた。

 そこに所属する人間はみな、メディモルと言われる医療分子を体内に入れることによって、人体の恒常的健康監視システムWatchMeに自らを組み込んでいた。

 漢字ばっかりで何のこっちゃ、という感じだが。

 つまりこの物語の舞台は、21世紀の初頭に起きたある大事件を契機に生命至上主義へと大きく舵を切ったその後の世界、なのだ。

 人類の健康と長寿を何より優先すべきと位置づける生命至上主義。
 人間は社会を構成する大切なリソース、資源であり、各々がその自覚を持って自らの、あるいは他者の健康を維持するために相互協力すること。
 それがパブリックコレクトネス。公共的正しさ。
 そういう思想がこの世界を支配している。
 
 各個人の体内には、栄養状態や遺伝子レベルの不具合、その他の健康を阻害すると思われるあらゆる要因を発見するための監視システムが構築されており、発見された瑕疵は直ちに各人が契約している健康管理サーバに連絡され、適切な対処が施される。
 今、地球上には感染症も癌も、その他かつて生活習慣病と呼ばれていた疾患も存在しない。

 健康とは、WHOの定めるところにより、単に肉体的なものだけではなく、社会的、精神的にも「健康」でなければならない。

 人々の健康を損なう自傷性物質、例えば酒類、タバコ、カフェイン、過多脂肪で過多塩分の食事、などは、この世界から駆逐されるべきだ。
 それも法律で定めるまでもなく、人々の自主的な判断によって。
 
 精神的ストレスも健康を損なう要因となる。
 あらゆる情報、ニュースやエンタメ、絵画や文学の芸術に至るまで、人々の心を傷つけるものであってはならない。
 各個人の嗜好、過去の経験に鑑み、そのトラウマに抵触する恐れのあるものは完全に自動的にフィルタリングされ、目に触れないように配慮される。
 公共の建物や施設も、威圧感を与えるようなものであってならず、目にも心にも優しい柔らかい形と色彩で作られている。
 
 人々は皆、オーグと呼ばれる拡張現実のサーバと連動したコンタクトレンズを装着してしていて、それを通すと全ての物に情報が付いているのが見える。
 例えば、今しも入ろうとしていたレストランがいかに健康に配慮した対策をしているか、さらにそれぞれの料理のカロリー、塩分、それらが身体に与える遺伝子レベルでの影響、などが、数値による評価で示される。
 人間についても同様で、目の前の人がどこの誰でどの医療共同体に所属し、何の仕事をしていて社会的リソース意識をいかに持っているか、そして社会的評価は幾らか。
 あらゆる場所、物や人に札のように情報が貼り付けてある。
 
 この世界にはもはやプライバシーなどというものは存在しない。
 そんなものより重要なのは、人々の健康と生命を守ること。
 外ですれ違う人や出会う人がどんな人なのかわからないのは不安だ、不安はストレスになる、だから。
 
 そんな世界にあっても特定の共同体に所属してサーバに繋がれることをよしとしない民族や集団がある。
 利害が一致しないと争いが起きる。
 WHOの機関の上級監察官である主人公のトァンの任務はそういう紛争地域に赴いて、その地域の人々の健康や生命が守られているかどうかを監視することだ。

 冒頭でトァンが出会った紛争地域のリーダーが言う。
「あなた方は程々(に神を信じる)ということを知らない。そして、勢い余ってその信仰を我々に押し付ける」
 それを聞いたトァンは苦笑いする。
 トァンは、こんな体制側のエリートの職に就いていながら、実は子どもの頃からこの社会に密かな違和感を持った異分子だった。
 その違和感に何だかんだと「程々に」折り合いをつけ、今のトァンがある。

 病気から解放されて、あらゆる悪意や痛みから遠ざけられた世界。
 全人類が求め続ける理想の世界だろう。
 
 それが実現したのに、何だろう、この真綿でじわじわと締めつけられるような感覚は。
 あらん限りの優しさと寛容さに囲まれているのに、この居心地の悪さは何だろう。
 自分が自分でないような、苛々とした鬱々としたこの感情は。
 
 とある事情があって任務を解かれ、帰国したトァンを待っていたのは、この医療と健康に特化した社会を根底から破壊しようとするテロ、だった。

 トァンは、この社会から逃れようとしていた過去の自分と、そして同じようにこの「優しい」世界を憎悪するかつての親友の影とに、対峙することになる。

 前作の「虐殺器官」でも感じたが、伊藤計劃氏の想像力には驚かされる。
 荒唐無稽だ、と切り捨てることは出来るだろうが、現在の世界状況を見ているとあながちあり得ないことではないような気がしてくる。
 世界はどこへ向かうのか。
 ユートピアとディストピアは表裏一体なのか。
 

 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 この物語は伊藤計劃氏の最後の作品だ。病に倒れ、壮絶な闘病の末に亡くなった2009年の前年に発表された。
 「もっと書きたいことがある」と言い、自分ではついに完成させることが出来なかった次の作品を書き始めていた彼が、病気のない世界を望まなかったはずがない。
 病魔と闘いながら、どんな思いでこの物語を綴っていたのか。それは本人にしかわからない。
 本当に残念でならない。
 もっと、彼の描く世界を見たかった。

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