息をするように本を読む107〜深緑野分「戦場のコックたち」〜
昨年読んだ深緑野分著「ベルリンは晴れているか」。
これをまだお若い日本人の女性が書かれたということに驚いた。(当時深緑さんは35才)
深緑さんに興味が湧いて他の作品も読みたいなと思っていたとき、書店でこの本を見つけた。
「ベルリンは〜」は、第2次世界大戦でドイツの無条件降伏にともない連合国側に分割統治されていた1945年のベルリンが舞台で、主人公はドイツ人の少女。
一方、この「戦場のコックたち」は同時代の同舞台を、連合国側の目線から描いた作品だ。
主人公はティムという19歳のアメリカ人青年。ルイジアナ州生まれ、雑貨店の息子。
1942年に軍に志願し、おおよそ2年の訓練を経て、合衆国陸軍空挺師団パラシュート歩兵として、あの有名なノルマンディー作戦で初陣を飾る。
物語はそこから終戦までの1年が描かれる。
最初の数ページを立ち読みした後、これは絶対面白いと確信し、迷いなく買って帰った。
ノンマンディー上陸作戦。
第2次世界大戦西部戦線において、1944年、連合国側によって行われたドイツ占領下の北西ヨーロッパへの侵攻作戦を指す。
『未だかつてないほどの複雑な作戦(英国首相チャーチル談)』のため、成功したとしても味方もかなりのダメージを受けるかと危惧された、相当に危険で綱渡りのような作戦だったが、ドイツ側の不手際やその他諸々の事情により、連合国軍は1944年の6月6日、北フランスのコタンタン半島ノルマンディー海岸に、初日には10万、その後の1週間で50万の兵員が上陸を果たす。
ここから、連合国軍とドイツ軍はヨーロッパの各国を戦火に巻き込みながら、押したり引いたりの激烈な闘いを繰り広げることになる。
空挺部隊に所属するティムは海からの上陸作戦に先立ち、後続の中隊のための補給物資の確保、司令部と救護所の設置、そして隊員たちの食事管理をするという任務(とパラシュート)を背負って仲間たちと作戦当日の真夜中のコタンタン半島に降下した。
ティムの階級は五等特技兵。特技兵とは、兵士の中で何らかの特殊な技術を習得していて、銃を取って戦闘に参加する以外にその業務に携わる者を指す。
ティムの業務は料理。
早い話が、戦場のコック、だ。
人が生活していく上で「食べること」はとても大きな意味を持つ。何なら、生きるための最重要素にもなり得る。
どんなに凹んでいても温かくて美味しいものが食べられれば人は元気になるし、温度のないパサパサのものばかり食べていたら心は荒む。
それでも、隊の中でコックはどうしても軽く見られがちだ。
「軍に志願しておいて"ママ"の真似か、女々しい飯炊き野郎」なんて悪罵も飛ばされるし、芋の皮剥きや皿洗いは軍規違反者の罰則に使われていたりもするのだけれど。
でも、ティムは、故郷の雑貨店で美味しい手作り惣菜を販売していた祖母のことを思い出し、戦場コックに志願した。
そこでいろんな出自、経歴、性格の個性的な仲間たちと知り合い、ときに支え合い、ときに反発しながら業務をこなしていく。
軍といっても、所詮は人の集まり、さまざまな人間模様があり、そこには日常的にちょっとした揉め事、疑問、謎が派生する。
ある同僚が密かにパラシュートを集めていた。使わなかった予備のパラシュートを持っていけば、シードル1本と交換してくれるという。そこまでして集めたパラシュートをいったい何に使うのか。
横流しして換金しているとか?
いや、それはさすがにまずいだろうし、別に後ろめたいことがあるわけではなさそうだ。
兵士たちの栄養補給のために開発されたものの、ものすごく不味、いや、かなり個性的な味であるため、隊の中でおそろしく評判の悪い粉末卵が、ある日、運搬箱ごと大量に紛失する。
どうしても食べたくない者たちの陰謀?ではないかとの噂もたつが、果たして真相はいかに。
ティムはそんな戦場における日常の謎を、頼りになる相棒エドと共に解き明かす。
読み始めたときは、軍のコックという特殊な職種のあれこれとミステリーを絡めた一風変わったお仕事小説、のように見えていたのだけれど。
しかし、戦況が進むにつれ様相は変わる。
第2次世界大戦のヨーロッパ戦線は、映画にもなった、このノルマンディー作戦が有名なおかげで、連合国軍の圧倒的楽勝、みたいなイメージがあるかもしれないが、そんなことはない。
連合国軍の上陸を許したドイツ軍はいったん退却したのちに激烈な反撃を開始して、そこここで激しい戦闘が繰り広げられた。
ドイツはもちろん、連合国軍でもとんでもない数の兵士が犠牲になり、暗号名で「オマハビーチ」と呼ばれた上陸地点は海や砂浜が血の色で染まるほどだったという。
長らくドイツ軍の占領下だった都市々々は再び戦場となって新たな爆撃を受け、ドイツと連合軍の間で翻弄される。
連合国軍は「パンツァー」と呼ばれる超高性能なドイツの戦車の進撃になすすべなく何度も蹴散らされ、進行と後退を繰り返す。
そのとき、どちらの勢力が支配しているかによって、そして、いつどちらの陣営に与していたかによって、同国民同士でも反目と差別と争いが起き、その理不尽でやりきれない現場をティムたちは何度も目にする。
雨霰のように降り注ぐ砲弾の中で、あるいは暗くて湿っぽい塹壕の中で、逃げ場のない極寒の雪原で、何人もの兵士たちが生命を落とす。
朝、一緒に食事をした、何ならついさっきまで冗談を言って笑いあっていた仲間が、次の瞬間にはすぐ隣で、物言わぬ骸となる。
侵攻の先々で遭遇する、まるで地獄のような光景。
言葉に言い尽くせないほどの過酷な状況に次第に慣れていく自分を嫌悪し、やがて、それすらも感じなくなっていくことに疲れ、心を病む兵士もいる。
そんな中、ティムは必死に自分自身であり続けようとするのだが。
ようやく、終戦の兆しが見え始めた頃。
おそらくは、連合国側の勝利に終わるだろう。
ティムは思う。
さて、この後、どうやって生きる?
この後、僕らは日々の平凡な生活に戻ることができるのか?
憎しみの渦も、飢えに苦しむ顔も、仲間の死も見て、自身の手は血で汚れ、殺し尽くした後で。
こんなふうに書くと、陰惨で暗い物語のようだけど、そんな場面ばかりではない。ところどころクスッと笑えるところも、スカッとするところもあり、最後は少しホッとして、読後感は清々しい。
そして、しみじみとした哀感も。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
戦勝国と敗戦国。
それは、ただ、国家の間だけのこと。
人間にとって、戦争には勝者も敗者もない。
ただ、人の身体と心を破壊するだけだ。
それも、完膚なきまでに。
戦争に、大義などない。
人類の、ただの愚かな自傷行為に過ぎない。
……もう、やめませんか。