愛着障害の私。『人間失格』を読んで失敗した。
昨日の夜、太宰治の『人間失格』を読んでいた。
それで、やっと読み終えた。
『人間失格』を読んだのは、一年ぶりくらい。
私は『人間失格』を定期的に読みたくなる。
しかし、今回はいつもと「読みたくなる理由」が違った。
いつもは「なんとなく」とか「作品の世界観に触れたい」というなんとも言えない抽象的な理由で読み返していた。
しかし、今回はちょっと違った。
今回はなぜ「読みたい」と思ったかというと、自分自身が主治医に
「愛着障害の傾向がある」
と言われたからだった。
岡田 尊司さんという方が書いた「愛着障害」の本によると、太宰治自身、愛着障害の問題を抱えていた...とのことだった。
ということで、愛着障害の問題を抱えていた太宰の『人間失格』には、私自身の生い立ちを紐解くヒントがあるのでは?と思ったのだった。
それで昨日の晩は、ずっと『人間失格』から何か「生きるヒントを得たい」と必死に齧り付いて読んでいた。
今日は「愛着障害」の当事者の観点、視点から、『人間失格』を読んでみての感想を書いてみたいと思う。
そもそも『人間失格』とは?
話に入る前に、まずは小説『人間失格』がどのような作品なのかについて簡単に振り返ってみようと思う。
『人間失格』は、ご存知の方がほとんどだと思うが、小説家の太宰治が書いた中編小説だ。
「恥の多い生涯を送って来ました」
この一文で、『人間失格』の物語は始まる。
主人公は大庭葉蔵。
大庭葉蔵は社会の営みを理解することに苦しみ、唯一の周囲と関わる方法として「道化になる」ことを選ぶ。
大庭葉蔵はその後、アルコールに溺れ、女性関係に溺れ、破滅的な人生を歩んでいく。
『人間失格』ではその大庭葉蔵の破滅的なあゆみと、内面の繊細な葛藤、強い苦しみが丁寧に描かれている。
「愛着障害」の観点から見て。共感できるところもあり、でもできないところもあった。
私は、この『人間失格』をいつもとは違う心持ちで読んでいた。
「自分の生い立ちの傷を紐解く」。
その「ヒント」が欲しくて読み始めた。
愛着障害を抱えている太宰治。
同じく愛着障害を抱えている私。
太宰の人生終わり頃に書いた小説『人間失格』には絶対に何かしらの「愛着障害」として生きていくにあたってのヒントがあるはずだ!!
そういった強い強い気持ちで、藁にもすがる思いで、読み始めた。
読み始めると、実際、私と同じく愛着障害を抱えていたであろう、太宰治が書いた作品ということもあり、物語の序盤から共感できる部分が多々あった。
例えば、主人公の大庭葉蔵の「道化」を演じることによって、社会と関わろうとする姿。
これは、私自身身に覚えがある。
小学生の頃、クラスのみんなを笑わせることで、注目を集めて、なんとか世界と繋がろうとしていた。
『人間失格』については、もっというと、全体的に強く共感できた。
ただし。
細かいところを、もっともっと細分化して、丁寧に見てみると「大庭葉蔵に、共感できない」というのが本音だった。
同じ愛着障害を抱えていたであろう、太宰が書いた作品なだけあって、私はどこかでこの小説を読み「大庭葉蔵に共感し、その上で心のヒントを得ること」を期待していた。
そのため、自分の「大庭葉蔵に共感できない」という最終的な答えに愕然としてしまった。
共感できないところは、いくつもあった。
まず、主人公の大庭葉蔵は異性からモテている。
モテている実感もあるようだった。
しかし、私は「愛されない」という方の実感の方が強く、そして苦しんでいる。
私は大庭葉蔵の異性からの「愛されぶり」に、逆に落ち込んだ。
また、私は主人公の大庭葉蔵のように生涯を通じて「道化」を演じ切るほどの「社会を理解できない」という想いは抱えていない。
他にも女性や、お酒、薬物に走る主人公の姿にも、あまり共感ができなかったかもしれない。
結論、私と大庭葉蔵、ひいては、私と太宰治は、全くの別人なのだ。
別の人間なのだ。
と改めて再確認する結果で読了した。
同じ「愛着障害」を抱えていようが、人によってその症状は違うということもあるだろう。
また、そもそも太宰治はこの小説の大庭葉蔵に自分の苦しみを書いていたのかも不明だ。
『人間失格』を読むことで「愛着障害を抱えながら生きるヒント」を得ようとしたが、結論から言うと、失敗に終わった。
自分にとっては、読み方によっては危険な本かも。
一つ思ったことがある。
ただの個人的な感想にすぎないけれども、やはりこの本は「危険性」もはらんでいるということだ。
10代の頃のようなもっと多感な時期に読んでいたら、それこそ、『人間失格』の世界観から抜け出すことができず、現実生活も変わってしまっていた気もする。
これはあくまで自分の意見だし、自分自身の考えだ。
だから『人間失格』が悪いという訳ではない。
ただ、私のような「愛着の問題」を抱えている人の中には、もしかしたら途中途中、入り込みすぎるところがあるかもしれない。
全体的に「孤独感」を纏った(まとった)内容なので、それもあってか私はこの小説を読み、すごく一層孤独感が増してしまった。
次に読むときは、もっと元気があって、フラットな気持ちの時に読もうと決めた。
まとめ
『人間失格』から何かヒントを得たい。
愛着障害を克服する上での生きるヒントを得たい。
そう思っていたが、ここに書いたようにその取り組みは、失敗に終わった。
大庭葉蔵は破滅的に人生を転がしていっているようなイメージだった。
正直、大庭葉蔵から「幸せになるヒント」を得ることは、あまりできなかった。
『人間失格』は、確かに愛着障害の私の心を癒してくれて、優しく寄り添ってくれて、誰にも言えないような気持ちに共感してくれるような、そんな素晴らしい本だ。
しかし、時にはこの本は、私を「破滅的な道の方」に連れ込むような危険性もはらんでいるな、と個人的に思った。
同じく愛着障害を抱えている方にアドバイスするとしたら
「寄り添ってくれる本として扱うのにはいいが、大庭葉蔵をロールモデルとして生きるのはよした方がいいかも」
ということだ。
結論的にいうと『人間失格』は、愛着障害の私の「幸せを作るヒント」にはならなかったが、これからも「優しく寄り添ってくれる本」として大切にはしたいなと思った。
なんだか偉そうな書評になってしまったけれど、やっぱり『人間失格』は名作だとも思った。
私にとって、ずっと永遠に素晴らしい本であることには変わりない。
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