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長濱ねるさん著『たゆたう』と不登校だった私

私は中1の夏から不登校になった。

それからとうとう一度も学校に出席することはなかった。


そんな私は、長濱ねるさん著の「たゆたう」を前に少し怖気付いていた。
震える手で電子書籍購入ボタンを押す。
そして、Kindleアプリに戻り「たゆたう」がダウンロードされたことを確認した。
逃げも隠れもせず、読もう
そう思い一つ呼吸をする。
1ページずつ捲るごとに、私の心の中で何かが変わる音がした。




高校時代、私が唯一好きだった現代作家は、金原ひとみだった。
唯一読めるのが、金原ひとみの書いた小説だった。
私は金原ひとみの小説の中で、蛇にピアスが1番好きだった。
蛇にピアスはグロい。
蛇にピアスは暗い。
だから好きだった。
その影のような薄暗さが、まるで自分の引きこもり人生を表してるようだったからだ。
蛇にピアスの登場人物ルイは、スプリット・タンに興味を持ち、舌を拡張したり、背中にタトューを入れたりする。
私はその主人公の姿に、心底共感した。
社会を地下街から睨むような、その姿勢に、深く共感して何度涙を流したことだろう。
私はピアスも開けたことがなければ、ましてやスプリット・タンなどという舌に穴を開けるような痛いまねはできないし、タトューも今後誰に言われようが身体には彫らないであろう。
でも何より、それを書いた、金原ひとみが「元不登校児」であったことが大きかったんだと思う。
私は金原ひとみ以外の、有名大学を出ている作家には何も思わなかったし、むしろ嫌悪感を感じた。
今考えれば、それは紛れもない、嫉妬だったんだと思う。
おもえば、金原ひとみからしても、私のようなクズ人間に同類のような顔をされて嫌だろうなと思う。
でもその時は、それくらい、
学校に行っている人
学校に行かない人
の間に大きな溝をたしかに。ひしひしと。感じていた。
裏を返せば劣等感だが。
長濱ねるさんの本を手に取る際、正直言って、そこの引っ掛かりがあったのは事実である。
長濱ねるさんは「不登校ではなかった人」だからだ。

嫉妬するかもな、と思ったし、それを受け止めることのできる自分がいるとは思わなかった。
しかし、彼女の文章は少し違ったのだった。

私は彼女のファンでもなんでもないし、彼女がなんのアイドルなのかも知らない、ただのにわか以下の存在だが、彼女の本を読み始めると、ひとつ気づいたことがあった。

それは当たり前のことだが、学校に行っていた人も行っていた人で地獄を見ていたということだった。
私にとっては、あの当時、学校に通っている人たちは天国にいるように見えて、私は、地獄にいるような気持ちであった。
しかし、彼女のエッセイを読んでいると、どうも違うということに気づいた。

人にはそれぞれ地獄があり、もしかしたら、学校に行っていた人の方が地獄をあの時見ていたのかもなと。
いや、そうなのだと思った。

学校に行っている自分の姿なんて想像できない。
きっと何十回、何百回、生まれ変わったとしても、私は不登校の道を選ぶんだろう。
そのことを美化する気持ちなんて、微塵もないし、1ミリも美化したいだなんて思わない。
家族などに迷惑をかけたのは事実だし、その罪は重い。
重すぎる。
私はこの罪を抱えて生きていくべきである。
でも、ただただ、これは、学校に行けないのは、社会に馴染めないのは、もう自分の業のようなものだと思っている。

私はきっとこれからも、金原ひとみの蛇にピアスが1番好きで、それはきっとこれからもずっと変わらない。
あの時支えてくれた作家は、金原ひとみ、それだけだ。
でも、今回、大切な家族のおかげで(家族が勧めてくれたのだった)、そこに「長濱ねる」という学校に行っていた作家さんが追加されたこと、これは私の人生にとって、とてつもなく大きな1ページであるように思う。
私と金原ひとみだけが私の世界であったが。
私と学校に行っていた人たちを橋渡ししてくれたのがこの本である
この本との出会いに感謝したい。

私、長濱ねるさんのファンではないのに、こんなことを書いてしまって申し訳ないです。
金原ひとみさんにも、金原ひとみさんのファンにも、ごめんなさい。
でも、この記事を読んで、何か今苦しんでいる方の助けになれば、と思い今回日記のようなこの記事を、投稿させてもらいました。



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