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【読書記録】 「天才」にも人間臭い「人生」があったらしいー「こじらせ美術館」 ナカムラクニオ著
子供の頃から工作や美術の時間が大好きで、絵を描くことも大好きだったが、
教科書に載っている芸術家や、彼らの作品にはあまり興味を持てなかった。
ゴッホ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ピカソ、クリムト…etc
彼らの作品をみても「偉い人たちがすごいと言っている凡人には理解できないなんかすごいもの」「私の人生には接点がないもの」「違う世界の話」と、興味が湧かないどころか、むしろ冷めた目でみていた。
大人になってからは美術館にも足を運ぶようになり、有名芸術家の絵画を生で目にすることもあったが、どうしてもなにか「天才が描いた崇高なもの」「自分には理解し得ないすごいもの」というイメージから、距離を感じ、心から感動できなかった。
ショーケースの中に鎮座する宝石を見ている気持ちというか。好みの見かけであれば美しいと感じるが、そうでなければ「価値があることはわかるけど…」といった感覚だった。
そんな、昔のアーティストやその作品たちへの固定概念を変えてくれる本と、最近出会った。
それが、この「こじらせ美術館」だ。
ゴッホ、ムンク、シーレ、バスキア、フリーダ・カーロなど、巨匠たちのダメ人間エピソードと作品の秘密を、代表作やキーアイテムのイラスト、チャート図など視覚的要素満載でわかりやすく解説する。荻窪の「6次元」主宰、アートディレクター、金継ぎ師として活躍する著者による、美術鑑賞がもっと楽しくなる美術ネタ帳。Amazon
天才も、ちゃんと人間だった。
この本を読んでいちばん感じたのは、「あ、この人たちもちゃんと人間だったんだ。」ということだ。
当たり前にもちろん彼らは人間だった(はず)なのだが、「何百年もの間、多くの人に作品が評価され続けている天才。」というイメージが強すぎて、人間というよりは異星人というか、つくりから完全に違うものと思っていた。いや、正確にはそう「思いたかった」のかもしれない。
だって、彼らが普通の人間だったのなら、その他大勢の、歴史に名を残さなかった人々の人生は、なんだったのか。そして恐らくその「その他大勢」に将来的になるであろう、自分の人生とはなんなのか。そんなことを考えていると、より彼らを「別物」にしたくなったのかもしれない。
しかし、彼らはまぎれもなく人間だった。各々、悩み、苦しみ、喜び、怒り、様々な感情を抱き、それを作品にぶつけ、表現していた。この葛藤を、人間臭さを、今まで感じ取ることができていなかった
アーティストの背景を知って、絵画に血が通った気がした。
・絶望の美男子ムンク
・恋多き世紀末のダメ男クリムト
・爆発する女神に育てられた奇才ダリ
・消えなかった父の呪縛マグリット
これは本書の目次の一部だが、既に彼らの「人生」を知ってみたくならないだろうか。
そう、わたしは彼らに「人生」があったことを、想像できていなかったのだ。
本で知れるのは彼らの「人生」のほんの一部だが、どんな想いで、どんな背景で、作品を生み出していたのか。
それを知ることは、ショーケースに入った宝石のような存在だった彼らの作品を、血の通った生き物にしてくれたような気がした。
どの作品も、人間が、その手を動かして、「表現したい」という強い想いで創り出した、彼らの分身のような存在なのだと。
だからといって、この本を読んだことにより、わたしの芸術を見る目が一気に開眼したとか、そんな話ではない。
やっぱりピカソの絵をみても「謎。」という感想しか湧き上がらないし、ムンクの叫びをみても「アンパンマンに出てくるガイコツのキャラっぽい」という感想しか出てこない。
しかし、その「謎。」なピカソを絵を見ると、今まで感じ得なかった「生々しさ」を感じるようになった。絵の背景に「人間」とその人間の「人生」を感じるようになった。この絵を描いている時、筆を動かしている瞬間、いったい彼は何を考えていたのだろう。何を目指していたのだろう。そんな、画家本人にしか知り得ないことに想像をめぐらせながら、作品を見るようになった。そしてその時間は、想像力を働かせながら、小説を読んでいる時間や、好みの音楽を聴いている時のような、豊かな気持ちにさせてくれる。
歴史に名を刻んだ「偉人」たちの「人生」を、もっと知りたくなるきっかけになった。