国語嫌いの少年が本を愛するまで
僕が本を始めて読んだのが去年。46歳の時。
あれから一年と少しが経ち、今も毎日読んでいる。
まさか僕が本を読むなんて、国語が大嫌いだった少年の僕には予想もつかない未来だろう。
感想文を書く宿題はあったが、後ろのあらすじを読んで書いていた。
今思えば、絶対先生にバレているだろうなと思っている。
やはり国語のテストができなかったので、どうしても本を読むきっかけがなかった。
だって「次の文章を読んで、作者が言いたかったのはどれかA~Dの中で答えなさい」僕はB。不正解。何で?
僕が間違えたということは、もうそれはわかりにくい文章だということです。全員正解するものが良い文章なのです。なのでそんな文章はテストに出す価値はないと思う。
というか、本当に作者が言いたかったことか?
出題者のお前が言いたいことじゃないのか?本当に作者に聞いたのか?
もしかしたらBかもしれないだろ!
そんな少年が本なんて読むわけありません。
じゃあなぜ46歳になって読み始めたのか?
何やら本を読んでいる人の方が賢いらしいという情報を得たのです。
そして僕は賢くなりたいと思って本を手に取ったのです。
意外と読めるなーと思いました。
それから1年ちょっと経つわけですが、だいぶ賢くなりました。
小説が好きでその中でもサスペンスを多く読んでいます。
今となっては、物語の前半で犯人が分かってしまう。
そう、賢くなり過ぎた。
●「830円です」と言われ1330円出して、おつりを500円玉でもらうようになったのです。
●スマホの充電を50%くらいでやるのではなく、8%とかギリギリまでちょうどよく計算して充電できるようになったです。
●見て下さい。「薔薇」何も見てません。「憂鬱」書けるのです。
これからも読書を続け、さらに賢くなりながら、日常生活に新しい発見や楽しみを見つけていきたいと思います。読書がもたらしてくれたこの変化は、間違いなく僕の人生を豊かにしてくれました。
文章力も上がり、こうしてわかりやすい文章をnoteで披露することもできるようになりました。
これは、読書のおかげです。
問題 これは、読書のおかげです。の「これ」とは何をさしているでしょうか?