誰かと一緒に生きていくこと
そんな言葉を聞いたことがある。長年付き合っていたら、ずっと好きではいられない時があって、気持ちの波にのまれてもう嫌いやわ顔も見たくないと思う日もあれば、やっぱり好きやな一緒にいたいなと思う日もあって。そんな日々を繰り返していたら、気づけば6年半が経っていた。
6年半。長いよなあ。19歳の時からずっと一緒に過ごして、喧嘩したりしながらも、お互いを知って受け入れあいながらここまできた。と思ってる。
けど今、自分の中でどうしても許せへんことがあって、ついに受け入れられへん日がきたかなと悩んでる。また日が経てば、すっかり忘れて、それ以上に大切な時間を思い出して、なんだかんだ言いながらまた嫌いになったり、好きになったりしながら、生きていくんかなあ。
誰かと一緒に生きていくって、どういうことなんやろう。友達でもない、家族でもない、恋人ってどんな存在やろう。赤の他人から、知り合って、好きになって、恋人になって、家族になって、一生涯の人生をともにするって、どんな世界なんやろう。
夫婦とは、結婚とは、って一生答えが出ん問いかもしれん。世の中のカップルや家族も、日々好きになったり嫌いになったりしながら、お互いを受け入れあいながら生きてるんでしょうか。
愛とは。みたいな話になってくる。
そうやなあ。6年半、実質告白された日から数えると7年半、いっぱい愛されたなあ。
これはどうなん。いいんかそれは。許してもらってよかったんかなと思うこともあるし、許してしまっていいんかなと今現に思ってる。
依存とか執着とかあなたがいないと生きていけないとか、そんなんじゃなく、自分で自分のことを満たすことができて、ひとりで生きるのもじゅうぶんに楽しくて充実していて、だけどそれでもふたり一緒にいる。ひとりでも生きていけるけど、ふたりでいるともっと幸せ。
そう思いたくて、まずはひとりで生きていけるようにお互いなる必要があると思って、そういえば別居したんやった。
結果、ひとりでも生きていけたなあ。そりゃそうか。精神的にも経済的にも、ちゃんとひとりでも生きていけることが分かった。
その上で今後どうするかが今。
分かる。動物的なもの。匂い、雰囲気、居心地、肌が触れたときの気持ちよさとか。
は〜〜。めっちゃ腑に落ちた。そう思う。ほんまにそうやと思う。
そっか、嘘は守りたい人のためにつく、嘘をついてまで守りたいものがある。って捉え方もあるんやな、嘘って。
「どうでもいい人のためにわざわざ嘘なんてつかない。相手を傷つけてもいいなら、ストレートにすべてぶつける。でも、傷ついて欲しくない人には嘘をつく。それは結果的に自分のためかもしれないけど、少なくとも相手の気持ちを考えて嘘をつく。愛しているから嘘をつく時がある。逆にいえば、言わなくていいことや、相手を無駄に傷つけることをいうのは、愛していない。知って傷ついてほしくないから、嘘をつく。」
まだそこまで大人にはなれてなくてその境地には辿り着いてないけど、その視点はなかった。
現実より言葉を信じるって、思っている以上に難しい。
誰かたった一人、この人だけはずっと自分にとって特別な人だと、心を許した存在で良い面も悪い面も知り尽くしたうえでずっと側にいる味方なんやと思いたくて、いろいろあるお互いの人生の軌跡を見届け合いたくて、人は結婚するんかなあとふと思った。結婚できるのは一人だけやもんなあ。
うちも死ぬ前にたった一人でいいから、人を信用して死にたい。
そうやねん。
この言葉がぐさっと心臓ど真ん中にぶっ刺さる、26歳冬。
今年、27歳になるらしい。来年、再来年、10年後、50年後、誰と一緒に生きてるんやろう。