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学校に行きたくないと初めて言えた日のこと

HSP(Highly Sensitive Person)やエンパスと呼ばれる、
感受性が高く感覚過敏な性格。

外交的で笑顔を絶やさない表面上の姿とは裏腹に、
私は実は、非常に生きづらさを感じています。

この矛盾した性格が私をどこに連れて行くのかと自問自答する中、2024年を迎えました。同じような経験を共有する人々を支えることが、私の使命だと感じています。


「精神的にまいってしまって、学校に行くことができません。」と言えた日

教育者としての私は、生きづらさを抱えながらも解決策を見つけ出し提案することに努めてきました。しかし今日、初めて素直に感じた心情を打ち明けることができました。今日は、私にとって大きな一歩を踏み出した日です。だから、いつかの誰かの支えとなることを祈って、ここに想いを綴ります。

いつもならスルーできる言葉や光景がスルーできない

前日、大きな理由もないのに教室で涙がこみ上げてしまいました。
そして、誰にも見られないように教室の隅へ移動しました。
心が落ち着くまで、深呼吸。拾った情報を頭の中で整理する。涙がこぼれないと分かったら、また前へ行ってニコニコと笑い続けました。いつもはスルーして、すぐにニコニコできる言葉や光景がスルーできませんでした。
これはいけない・・・と思いました。

HSPの先生だからこそできることを探し続ける日々

過去にはこんな幸せな出来事がありました。
「私も先生と同じHSPだと思う。でも、先生がやれるなら、私もやれるかもって思った。私も先生になりたい!」という生徒の言葉が、私の教育者としての存在に意味を与えたのです。その後私は、こんな私が生き生きと働いていることが、彼女の希望になるように、いつも笑顔で頑張ろうと思うようになりました。

しかしながら、それは間違っていると気づきました。
私が元気なところだけ見せていたら、今の私と同じ状況へと導いてしまいます。私らしく働きながら、先生を続けることが、ありのままでいることが、重要なのだと気づきました。
正直に書くと、私は今、とても幸せなのに、とても生きづらいです。

HSP・エンパスな自分を憎む日々

多くの情報に敏感であることが災いして、時折辛さや疲れを感じることが現状です。誰かに「気にしすぎだよ。」と言われても気になるし、「考えすぎだよ。」と言われても、考えすぎてしまう。唯一の理解者である自分が他者の言葉に依拠している時点で、「自分を愛すことができていなかった」のだと気づくことができました。

私は生徒のことも大好きだし、特に素敵な先生方に囲まれているので、「幸せですか?」と尋ねられたら、「幸せです!」って笑顔で言い切ることができる。即答することができます。実際、すれ違う先生に「今日も幸せそうだねぇ!」とおっしゃっていただくことが多いです。「幸せそうで、悩みがなくていいね。」と言われることもあります。

それなのに、矛盾して、生きづらいのです。
それなのに、そんな状況について深く考えたことはありませんでした。

HSP・エンパスだから苦しいこと

学校を休んだからわかったこと

今日学校をおやすみして分かったことがあります。
それは、根本的に?そもそも?
不特定多数の人に会いたくないということです。

「じゃあ、どうして会いたくないの?」と自身に問いかけました。
すると、以下の答えが浮かびました。(長々と綴ります)

大勢の前で話したくない。大勢に注目もされたくない。すれ違う全ての人に微笑んで、会釈をして、その時の相手の顔やオーラや色々からとんでもなく多くの情報を拾ってしまう日常がとても辛い。すれ違うだけで受け取る情報量は、授業中であれば倍増する。担任している学級であれば、より一層増える。名前も知らない誰かに対してでも、今の授業で何かあったのかな、と思いを馳せてしまう。これに関しては特に病的だなと思いますが、今の私の挨拶の仕方が相手を不快にさせてしまったのかなと反省する。たかが挨拶で!会釈で!たった10分の休み時間の中でも、信じられないほど多くの人に会い、多くの情報を汲み取って、次はもっといい行動を取ろうと思って反省をする。そして、また不特定多数の人の前に出ていく。40人ほどの生徒はそれぞれの事情と環境の中で、誰もが一生懸命必死に生きている。できる限りのことがしたいと思う。1日に授業を担当する生徒はおよそ160人。与えられた50分という授業時間の中で全ての生徒に焦点を当てることができない。オーラや態度、表情、言葉で訴えかける力が弱い生徒もいる。そうした生徒とは、コミュニケーションをとって本心を汲み取らないと、自分を表出するのが得意な生徒の意ばかりに沿うことになるからいけないと思う。声にならない声を受け取ろうと、もっともっとアンテナを張り詰める。そして、受験の為?将来の幸せの為?生きる力を育む為?そもそも生きる力も160通り?そんなことを考えながら、自分がしていることに、選択していることに、考えていることに、自信が持てないまま、時が過ぎていく。そして毎日毎時間毎分毎秒反省をして、後悔をしている。声の大きさ、調子、ことばの選択、表情。授業の方針、学習プリントの構成。「できる」「できない」にかかわらず、「こうしたらもっと良い」というアイデアがたくさん浮かんでくる。自分はその理想に追いつくことができない。実現させることができない。常に、「できなかったこと」が頭に残っている。日記や振り返りには「できたこと」を書き溜めている。しかし、実際心の中には、できたことがあるわけではない。できなかったことを抱えて、顔はずっと元気に笑っている。元気が続く限り、時間の限りできることに遮二無二取り組む。

これが、今日、やっとわかった自分の本当の気持ちです。苦しい。

自分の本心は、「後から」じわじわ込み上げる

昨日、教室で涙が出たのは、もうどうしていいか分からなかったからだと思います。なす術なしとはこのことで、拾った情報を処理する術は浮かんでも、一人の体じゃもうどうにもできない・・・と心が泣いていました。今は、なぜ涙が出たのかがわかります。しかし、その時には全くわかりません。早く、いつもの私に戻って・・・と焦るばかりです。

誰のせいでもなく 「自分のせい」 だからもっと苦しい

今勤務している学校は本当に素敵な学校です。先生のことも、生徒のことも、私は大好きです。それなのにこんな気持ちになるのは、、、環境ではなくて、自分の問題なのです。しかし、自分の性格や性質を変えることはとても難しいです。いろいろな本を読んでも、どんどんと変容を促されているような気持ちになって、結果として160通りの選択肢がもっともっと増えていくような感覚になります。本当に、どうしていいか、わからない。

打ち明けることで初めて分かったこと


「わからない」というこの素直な気持ちを打ち明けることで、ここまで文章にすることができました。わからないこと、困っていること、それを人に言えるということが、おそらく、とてつもなく大きな一歩なのだと思います。

人のことを考えて苦しくなるHSP・エンパスだからこそ、人に言えたら、こっちのもん!?その後は、人のことを考えるように、するすると、自然に自分のことを考え、分析することができるようになりました。
今までどれだけ本を読んでも、日記を書いてもできなかったことです。

HSP・エンパスな自分に向き合えたきっかけ

このように自分の気持ちを打ち明けるきっかけ、そもそも限界に達して涙が出るようになったのにも、決定的なきっかけがあります。

それは、大先輩の先生が、悩みを打ち明けてくださったからです。おそらくその先生もHSPやエンパスの傾向があるのではないかと推察されるのですが、その先生が困っていること、悩んでいることを赤裸々に語ってくださりました。私はいまだにその真意はわかりませんが、きっと、私の様子を気にかけてくださり、自分のことを話してくださったのではないかと感じています。

HSP・エンパスな先生こそ、「自分自身」のことがわかりません。だから、誰かを通して、誰かの言葉や経験を通してやっと、自分の本音に気づくことができるのかもしれません。

隣にそんな人がいたら、私も隠さず自分の苦しみや辛さについて話そうと思うようになりました。だから今、こうして言葉に表現しています。

今後考えていきたいこと

私は、そうした不思議な一連の出来事があって、27年経ちようやく自身の性質に気づくことができました。なぜこのような性格の人が教員を志望したのか。その理由に、HSPやエンパス傾向の人々が幸せに教員を続けるヒントがあるのかもしれないと思います。そして、HSP・エンパスの傾向を持つ人々が自分に合った生き方を選択するヒントも、あるかもしれないと思っています。

今、伝えたいこと

周りの人々の望む自分の姿、良いとされる姿を汲み取って、
一生懸命頑張ってきた人へ。

人の感情に敏感で、
人の感情を自分のものとして感じられる、心優しい人へ。

意識的に共感しているわけではなく、
無意識的に相手の感情、思考などを感じ取ることができる人へ。

そんな人が学校現場には必要だと思います。この世の中には、必要だと思います。

今後の自身の成長を見つめ、同じ境遇の人々への支えになれればと思っています。未知の道を歩む中で、自分の存在意義を再確認し、前進していく勇気を持つことが、私にとっての課題です。

さいごに : 「感謝」「ありがとう」

苦しいことを、苦しいと目の前で伝えてくださった先生へ、ありがとうございました。本当に苦しそうな先生をみて、自分も苦しいことに気づくことができました。
「精神的にまいってしまって、学校に行くことができません」という言葉を、受け取ってくださった先生へ、ありがとうございました。同じ性格、性質を共有していないのに理解しようとして下さるあたたかい言葉に支えられて、今日お休みすることができました。
授業や学級担任の代行を行なってくださった先生へ、ありがとうございました。

読んで下さり、ありがとうございました。
今苦しんでいる人が、苦しい自分の気持ちに寄り添うことができるように、祈っています。
いつか、誰かのことを考えるのと同じくらい、自分の気持ちを大切にできますように。

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