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存在の先に求めるもの


自分は人と
何が違うのか分かったなら

言い訳も上手に言えるかな

仕方ないよって自分の肩を叩いてあげられるかな

そんな自分を知ったら、よく頑張ったねって言ってあげたくなるから



虫と哺乳類の違いは、養育環境

哺乳類は虫と違って
産まれたとたん親に投げ出されたら生きては行けない

哺乳類の中でも、群をなして生きる生き物は社会性を身につけなけば生きては行けない

社会の中で胸を張って生きるためには
親が与えてくれた無償の愛と
群れに存在を認められていると言う自己肯定感が必要で

自己肯定感の中身は、大半が磨きをかけない限りはその2つから出来ている様な気がしている

人と違うと言う感覚は、この2つに不足があるから起きる物で
それが生きづらさになるのかもしれないと考えたのだ

皆、親に生き方を教わったのだと思う
それは、昔から続く自分を大切にして来た生き方の延長線上がシステムとして組み込まれた様に

だから、生き方を知らないなんて人は珍しい

でも、そんな人はいる物で
それが私なのだ

私はこの世に産まれた時からシステムが組み込まれていない

親に教わった事は、身体を生かす方法と
ビニール袋は被ってはいけないと言う事くらいのもの

言わばゼロからのスタートだったと
あちこちに人生の壁に身体をぶつけた後で
はじめて気付いたのだ

見た目からしたら何ら普通の人で
私自身もそう思い込んで来て

それでも拭い去れない違和感が
私と人との違いと言う謎を解かせようとしてきたように思う

何と無くは分かっていても、いいしれない違和感が言葉になり腑に落ちるまでは随分と時間が掛かった

そうしてやっと見つけたのは
私は鳥のように卵から産まれ身体だけは守られてきた物の
生きるためのシステムは組み込まれていなかったと言う事

つまり、生存本能だけで生きてきた人間らしからぬ生物だと言う事だ

そんな事に気付いて何かが変わった

生き方をゼロから組み立ててんだ仕方ないじゃん
と言い訳も上手くできるようになったし

それならここまで良く生きてきて
頑張ったよねと
自分を褒められるようにもなった

社会に合わせて生きなくちゃともがいていたのも、それは難しいから
自分に合ったシステムを組み込み直せば良いのだと
未来が少し見えた気もした

人より遅い成長を、右往左往しながら歩いて行く自分で良いと
やっと思えたのだ

これは、私の自論なのだけど
生きる意味があるかないかの議論は2つに分かれる
その理由こそが、このシステムがあるか無いか
どちらの立場の人が語っているのか?
それか自分と同じ立場の人なのか?と言う事

つまり、自分そのもの存在価値を認められてシステムがある人は生きる意味がない方が幸福で

自分の存在価値に不足感があり
システムが気薄な人が生きる意味を人生に見出した方が
社会に無理に同調して右往左往したり
自分を責めて一生を終えるよりも幸福に近づくのでは無いか?と

つまり、生きる意味は必要な人と必要じゃ無い人がいると言うのが私の考え

親に何を教えられたか?
そしてそれは、社会や自分に合った物だったかを考え直して見ると
それが必要かどうかが見えて来るのかもしれない

と言うよりも多分、社会適応している人は相当なアイデンティティクライシスが起きない限りは
生きる意味を問うことは無いような気もしている



 そんな少し風変わりな事を考え
風変わりな道筋を歩んできた私の未来は
2つの自己肯定感とは別の自己肯定感の軸を作ることで作られて行く予定

それは、諦めと
無償の自己愛の確立と
社会に技術の方面で適応して行く事

それは、社会や人とはまるで違う生き方なのかもしれない

それでも、人と違う道を通り解き明かして来た秘密を
私の野生人間として
人生の風向きを読むと言う野生のセンサーを
ゼロからシステムを作った人間の技術が微力でも役に立つと良いなと思うのです

結局のところ
自己肯定感なんてものは

まやかしで
思い込みで

思い込んだ物勝ち

アイデンティティクライシスなる物に負けない自分作りは
自分次第で作って行けるのだと思っているから伝えたい

今まで、良く頑張って生きて来たね
未来はちゃんとあるから

険しい道のりかもしれないけど
私は自分の思う道を試して見るよ
いつか、その物語の全てを話せる時が来るようにと

生きづらさを抱えて生きる
私やあなたに



akaiki×shiroimi

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