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フィクション永久機関の完成

直木賞作家の万城目学が立ち上げたひとり出版社、万筆舎はご存知だろうか。2024年、万筆舎2作目である『V3』が発売された。BOOTHでの販売がなされている本作は、初版は速攻で売り切れとなり、入手困難の様相を呈したが、2刷は十分な数が用意されたようで私もついに手に入れることができた。

V3はヴィクトリア朝3題のことで、南陽外史によるシャーロック・ホームズの翻案をさらに自由に翻案した作品集だ。万城目学の他には森見登美彦と上田誠が参加しており、19世紀イギリスの物語が3人の出身地である大阪・奈良・京都を舞台として書き換えられている。この3人は毎年年末に京都で忘年会を開催する仲として知られており、上田誠が森見登美彦の作品のアニメ化を手掛けたり、森見登美彦が上田誠の演劇を小説にしたり、上田誠が万城目学の作品を舞台化したりしてきたという歴史がある。

『V3』のあとがきで万城目学も記している通り、忘年会で2人を説得してこの作品が作られることになったそうだ。森見登美彦は2024年に『シャーロック・ホームズの凱旋』を発表しているし、上田誠は2023年に「切り裂かないけど攫いはするジャック」を上演しているので、ヴィクトリア朝でそれぞれ書いてもらおう!というのは説得するための作戦としてはこの上なく、またファンにとってもときめきしかない。みんなよだれを垂らしながらこの作品を手に取ったに違いない。

まずはやはり3都市の実際の地名が出てくるのが面白いところだ。大阪は実際の有名建築も登場するのが楽しいし、奈良は馬車での移動の描写が多い中、地名が細かく書かれているので移動の様子がよく分かって面白い。そんな中で麺麭屋町だけは共通の架空の地名として存在していて、リアルとフィクションの不思議な融合に心を誘われる。

また、この作品集で特に気になったのは医学士(ワトソン)の心情描写である。シャーロック・ホームズの物語はワトソンの視点で描かれることが多いらしく、この3作品についてもそうなっていた。森見登美彦の場合、それほど医学士の心の内は詳しく描かれずあっさりしているが、大探偵(ホームズ)からの指示に忠実で、理にかなっていれば法に触れることも厭わない態度には素直さや大探偵への信頼が覗いている。一方で、万城目学のほうは、医学士が大探偵のように推理ができないことに関して「我が愚鈍さに呆れ」る描写がある。手がかりは揃っているはずで、なんとなくもう少しで分かりそうな感じがするけれど、脳に靄がかかったようでどうにも分からない、でも仕方ないと思っている描写はまさに万城目学という感じがする。主人公が答えに辿り着けそうで辿り着けない状態のまま物語が進んでいくとき、そのことが大きな展開を生んだりするものである。そして、上田誠の場合は医学士の大探偵への感情に呆れが混ざっている。心の中あるいは言葉で大探偵にツッコミを入れることで会話にテンポが生まれ、会話劇のようなテンションになっている。同じ人物の作品の翻案でもやはりこれだけ個性が出るのだなと思うと楽しくなった。

最後に、イラストのことを少し。表紙イラストはエリカ・ワードによるもので、作品内の要素がこれでもかとカオスに配置されているのがとても魅力的だ。挿絵はヨーロッパ企画の後藤さんが描いていて、岩波文庫の挿絵みたいなクラシックな匂いのする絵が素敵だし、これだけ日本の地名が登場していても何のためらいもなくイギリス紳士たちが描かれているのが良いなと思った。

19世紀イギリスの要素はがっつり残しつつ、だいぶ日本あるいは関西が入ってきつつ、3人の作者の個性がにじみまくっているという、要素の多い作品であるが、不思議と違和感はなくとにかく面白かった。この企画が実現してくれて嬉しい。南陽外史や他の人の翻訳・翻案もかなり色々あるようだから読み比べてみたいと思う。

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