#7-06.07 いのちの畳み方 『人間失格』『平成くん、さようなら』
終活、エンディングノート、生前葬
死をあたりまえのようにして生きる。
一昔前よりもごく自然なこととして受け入れられるようになってきました。
みなさんも、自分のいのちの、おしまいの1ページを想像したことがありますか?すでに定まった情景を持たれているかたもいらっしゃるのかもしれません。
5年前、わたしにも、いのちの畳み方について、否が応でも考えさせられる出来事がありました。
2017年1月
お正月を地元で過ごし、親戚一同集まってるお酒を飲んだり、こたつで新春番組談義をしたり、古典的なよくある日本の家族の風景が、わたしの実家にもありました。
次週からの授業のために再び東京へ戻った大学3年生のわたし。昨日までいたはずの実家から、不自然な時間帯に着信。
祖母が救急車で運ばれたと、脳梗塞だと、すでに意識がないと。立て続けにスマホから響く母の声。エレベーターが下の階に降りていくときのようにふわふわとしていて、それでいて冴えわたった驚きで言葉を失いました。
あんなに元気にお節を作っていたのに。
一緒に雪かきをしたのに。
そんな思いが溢れそうになるのをマンホールで抑えるかのように、手術が必要なこと、祖母の年齢で手術の負荷に耐えられる保証がないこと、わたしたち家族には、祖母に2つの選択肢があることを伝えられました。
親戚の大人たちが一堂に会して話し合い、最終的には息子である父が、延命、手術を受けることを選択しました。
2021年7月
祖母は5年経ったいまも入院しています。
後遺症がのこり、言葉と、左半身の感覚を失いました。
家族の誰のこともわからず、順番にお見舞いにくる身内を、ただじっと見つめています。
以前の祖母はもう、どこにもいません。
父は毎日仕事を終えると、面会時間ギリギリに病院に立ち寄り、祖母に声を掛け続けていますが、この5年間、目に見えた変化はありません。むしろ、85歳になった今、何の変化も起きていないことの方が奇跡なのかもしれません。
祖母は幸せだったでしょうか。
父は後悔していないでしょうか。
太宰治 『人間失格』
言わずと知れた名作。中学時代以来の再読です。
新潮文庫から新たに出た、箔押しの装丁がとても素敵です。
幼かった自分が、本質を何も理解できていなかったこと、理解できていたとしても、忘れてしまっていること、忘れる程度にしか理解していなかったこと、さまざまな事実が身を刺してくるようでした。
主人公は世間一般で当たり前とされている価値観に馴染めず、他人のこころの機微を理解できないことに苦しみ、自分自身を「恥の多い人間」であると評価しています。
折に触れ死にたいと思い続ける主人公の姿は、太宰本人と密接にリンクし、彼が最後に遺した、完成した作品として、あまりに重厚かつ強烈なメッセージを放っています。
出自や家柄に絡め取られ、「普通」にいきることが難しかった太宰は、その生の過程で、何度自らの死を望み、思い描いたでしょうか。自己愛を欠き、生を恥じ続けた彼も、いのちの終え方や蝋燭の火の消し方を、絶望や苦しみに悶えながら模索し続けていたのでしょう。
古市憲寿 『平成くん、さようなら』
若者世代に近い感覚をもった社会学者が、安楽死が選択できるようになった世界を描いた一冊。
古市さんがテレビでコメントをするたび、自分の気持ちを代弁してもらえているような心強さが、じんわりと心の底に広がります。
平成と書いて ”ひとなり”と読む名前の彼は、平成の終わり、令和の始まりと共に自らの生に幕を引きたい、自分の時代が終わる前に安楽死をしたいと打ち明けます。恋人である主人公が必死に引き止めようともがく一方で、思うように説得できない苛立ちや悲しみが、物語を通して描かれています。
安楽死を選ぼうとする傍ら、平成くんは遺される人の感情やに対する理解や、死そのものの概念を変化させていきますが、その過程にも、今の時代の「いのち」へのまなざしのありようを深く考えさせられるピースが散りばめられていました。
2冊の間で
いまの社会は、さながら、この2冊の中間地点といったところでしょうか。
自殺者は絶えず、今朝も電車が遅延しました。巣ごもりが当たり前になってから、自殺者数はむしろ増加しています。死にたいと思う人はどんどん増えているのに、積極的に命を絶つことは、太宰の頃と変わらず許されていません。
一方で、消極的に命を絶つことは認められつつあります。抗がん剤治療を望まないこと、人工呼吸器をつけないこと、主に医療の現場で、死に対する考え方が少しずつ変化してきました。平成くんの世界のように、安楽死が認められる日が来るのは、もしかしたら思っているよりも遠くないのかもしれません。
わたしたち家族は、祖母ときちんと話をしておかなかったことを、今はただ、口に出さずとも、ひたすらに後悔しています。
選択を謝ったのではないか、恨まれてはいないか
どこで生きていても、そんな疑念が付き纏います。
ベッドサイドに置かれた「お見舞いノート」は父の字で埋め尽くされ、独白の日々が顕に記されています。
母はあの日に電話して以来、あまり祖母のことを口に出さなくなりました。
わたしのきょうだいたちは、全員地元を離れ、お盆と正月に帰る程度ですが、自分から「お見舞い行こうかな」と言うことはほとんどなくなりました。
どう死ぬかは、どう生きるかに直結することに、盲目になっていました。
太宰が生きた時代よりも、自分のいのちの後始末をすることや、終わりを想像することへの世間的な嫌悪感は薄れ、むしろそれが歓迎される時代になりました。
どう終わるかに加えて、終えた後に周囲の人々が抱く気持ちの始末まで、きれいに整えることが可能になりました。
あの日、家族にその決断を委ねてしまった祖母にも、もしかしたらほんの少しだけ、罪があるのかもしれません。
2021年1月
この冬、あれ以来初めて母と祖母の話しました。
「もし自分が同じ状況で倒れたら」
わたしも母も、延命治療は望みません。
母とは昔から考え方の相違があり、喧嘩をすることも多かったのですが、この点では初めて、お互いを理解し会えているような気がします。
この5年はあまりに長く、日陰を歩き続けるような日々でした。長い時間の中で、だいすきだった祖母をだいすきでいられなくなる瞬間が確かにありました。
祖母が生きていることを、丁寧に受け入れられなくなっていくことに、罪悪感で押しつぶされそうになりました。
そのすべては、祖母がいのちをどう畳みたいと思っていたのか、知らずにいたことに起因しています。
もし
もし、まだ間に合うなら、自分のいのちをどう畳みたいか、大切な人と話してみてください。多くの人は、まだまだ間に合うはずなのです。
太宰と古市さんの間に生きるわたしたちには、生きる権利も死ぬ権利も与えられています。
どう生きるかを保証する法律はたくさんあるのに、どう死ぬかの場面では社会がわたしたちを守ってくれないかもしれません。
反対されても、納得しあえたとしても、話したその時間には必ず意味があるはずです。わたしたち家族のように、生きることも死ぬことも心を動かさなくなってしまう前に、どうか。
いのちを大切に生きて、大切に畳むことについて、考えてみてください。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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