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守れない約束にこそ

メロスとセリヌンティウスの例を引くまでもなく
約束は守らねばならない
約束を守らんと命を賭して走るメロスに
セリヌンティウスとの友情の真実を見たと思って涙する
恐れ多くも太宰先生の作品に屁理屈こねるなんて
赤毛も大胆不敵厚顔無恥にもほどがあるけど 

胸を借りて飛び込んでみようと思う

約束が価値を持つのは守れたときじゃなくて
守れなくなる時だと思う
守れた約束は何の摩擦抵抗もなく物事が進行するわけだから
約束がダムになることも踏み絵になることもなく
ツツがない
明日渋谷で5時と言って
5時にハチ公前で会えた約束には
約束の価値を見出す必要がない

けれども不測の事態に
その約束が守れなくなるかもという時に
なんとか回避せむと足掻く行動に
約束の相手への誠意が垣間見えるわけで

約束なんてのは、実は
その通りにならないからと言って怒るものではなくて
約束が壊れそうなその時に
その人との間に何が起きたかをリトマス試験紙検証すべきだと思う

要はリスケしたかどうかだ
思い通りに行かないことなんてゴマンとあるし
寧ろ上手くいくことの方が少ないくらいだし
それは天変地異かもしれないし
子供の発熱かも知れないし
自分のスケジュール管理のミスかも知れないし
追突事故でオカマ掘られたのかもしれないけど

出来事には常に優先順位があるし
その人に対する愛情だけで単一目盛り
測れるのは物語の中だけで
現実のメロスにだって
納期があればそれを優先せざるを得なかったかもしれないし
それはセリヌンティウスに対する友情と
等価交換するようなものじゃなくて
友情には一点の曇りもないし
一ミクロンだって揺らぐ必要なんかない

けれども

そうしなければならないということがあるということだけで

状況を説明して
せっかくの約束でとっても楽しみにしていたんだけどと
心の底からの謝罪とともに
リスケをお願いできないかと直ぐに提案することだと思う

思い通りにできたことに相手の誠意を受け取るんじゃなくて
思い通りにならないことを乗り越えて
改めて時と場を一緒にせむと調整しようとする姿勢に
相手の誠実さを感じるべきだと思う

そりゃあ楽しみしていればいるほどその予定が飛んだ時には
がっくし肩を落とすのは当然だけど
一緒に相手への信頼感まで地に落とさなくてもいい
もし相手がそのままナシのつぶてだったり
事態の局面を立て直そうとしないのなら
それは働くものとしてもアンマリや
それじゃあ仕事なんてできないと思う

約束を守るという一点に何かを掛けるのは
この流動的で他因子の時間を生きるのには
ちとギャンブラー過ぎると思うし
一点突破は大好きな戦法だけど苦笑

待ちぼうけも悪くないなと思う年の瀬に




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