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福田村事件を観て

次女)ママ、ちょっとエロが多くね?

赤毛)うーん、ママもちょっと気になった

次女)いる?エロ?

赤毛)うーん

福田村事件を観ての次女の第一声
私も次女と一緒に見たという居心地の悪さも含めて
子供の頃に火曜サスペンス劇場のちょっとエッチシーンに
隣りにいる親にモジモジした経験が誰しもあるように

軽い違和感

作品は

脳天カチ割られるくらいのショックを受ける内容
久しぶりに観ているのが辛くて辛くて
ここから逃げ出してしまいたいと思う気持ちと闘いながら
いや目えカッピラいてみろやって
自分に言い聞かせて
自分を椅子に縛り付けるようにして観た

あああ
あああ

吐きそうな嗚咽を抑えて
ダメだダメだダメだよ、やっちゃと
スタンピードする人の背中に
声にならない声を

ああきっと、もしそこに自分がいたとしても
声にはならないんだろうなという
自分だってきっと同じだという
無力感でぐったりしながら

確かにエロ、チラつくよね、
なんだろうね

次女の顔を見る

ふと
そのエロスの体現者たちを見ると
得体の知れない不安と恐怖に駆られて暴走する人々に
待ったをかける人と重なることに気づいて

帰ってこない夫を待てなくて
間男と関係を持ってしまっていることが
小さな村の中では周知の事実の居心地の悪さにも
キッと顔を上げて胸を張る寡婦

橋のない川を渡す船の船頭を生業にする
女に手を出した間男、シモにだらしない色男

突然不能になった夫に4年間寝所をともにしてもらえず
悶々と臍をかみ
例のエロ男、船頭に股を開いてしまう都会から来た若奥様

村の中ではバカにされたり
パワーを持たない疎外された存在だけど

川を渡すという何やかや言って生命線の仕事を担っていたり
豆腐屋という村の食に不可欠な食品を作れる女の人だったり
アウトサイダー的な独自の存在価値をもって
村社会のヒエラレルキーに飲み込まれずに
自分の言葉を持っていたのかもしれないと思った

職業的なフリーランスさが
自由な感性を、戦時下の異常事態でも保たせて
それは、スキだ、とか、肌を重ねあいたいという
性的な欲求として表出しているけど
それは比喩であって

エロスのシーンに込められていたものがあるはずで
その役に込めた意図、その行為に象徴させている意図が
絶対にあるはずだと思うと

その3人のシモにだらしない
あるべき姿に従わずに
夫を待たずに、妻帯者には手を出し、夫を裏切り性的な欲求に従う
その姿には
なぜその3人は欲求に従い
そして朝鮮人だ殺せというスタンピードから
距離を保てた人でもあったかは

なぜそう森監督が描いたのかを

見終わって2週間経つけど
ぼんやりと頭の隅で考え続けている





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