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茶道では客側にも作法がある|ルールがあるから安心できる

茄子のとげが指に刺さりました。
とれなくてネットで調べたら、梅干を貼れ!とのこと。ほんとかしら?
梅干を貼って一晩寝たら、取れました。
梅干効果と断定できないけど、びっくり。

さて、話は全く変わりまして…
茶道において、お点前する亭主だけではなく、お茶を頂く客側にも作法があります。

茶道の稽古では、亭主としての稽古はもちろんのこと、お客さんとしての稽古も行われます。生徒さん同士で亭主と客を交代で務めます。


「なんでもてなされる側にまで作法があるの?」
「それが茶道の敷居を無駄に高くしているじゃないの?」

ごもっともな指摘のように思われます。

なんででしょうか?

私なりの考えですが、行きつくところは一座建立ではないかと思います。

一座建立
主客一体になって座を盛り上げること
お互いを思いやる心を持ち、正直で心のこもったあいさつができ、常に茶席の全体を把握しながら、行動できて初めて、主客双方の息が合い、一期一会が成立する (出典:不明。手元メモより)


つまり…
亭主は、お茶会、茶事のために、心を尽くして準備をします。
客側に作法があることにより、亭主は客の動きがあらかじめ読めます。
それにより、もてなす側は、もてなしの設計、もてなしのデザインが可能となります
また、もてなされる側にとっても、亭主が客側の作法を前提にもてなしを設計しているため、それに身を委ねることで、亭主が心ゆくもてなしができる、もてなしの邪魔をしないで済む、亭主のもてなしを存分に堪能することができる。

客側の作法に則って、もてなしを受けることで、客は安心してその場を楽しむことが出来ます。 
ここでの、「安心」というのは、「亭主のもてなしの趣向をじゃましていないかしら?」とか「亭主の気付いてほしい意図を無視していないかしら?」などの不安を抱かないという意味での安心です。

客側にも作法があることが主客双方にメリット、すなわち「座の盛り上がり」につながるのだと思います。

いってしまえば、スポーツやゲームのルールのようなものです。
野球でもなんでもルールがわかっている方が楽しめますし、ルールを守ろうとする意志なしに参加するわけにはいかないですよね。(教えてもらいながら参加するのはアリだと思います。)


さて、とはいえ、客側に作法があることで、敷居を高くしているというのは否めませんね。

客側の作法で、お辞儀をすることが多くあるのですが、亭主がお辞儀をしたから、お辞儀を返すと
「そこは正客だけ!連客はお辞儀しない!」
おっとっと。

お点前は必死で覚えようとするのですが、客側の作法は…お点前に比べたら、ずっと所作は少ないのですが、いかんせん、客をしているときは気が抜けて…いる…ようで…、いつまでたっても曖昧で、いやはや…(-"-)


客側の作法があることによる敷居高くなる問題、どうしたらいいんですかね?

う~ん、みずから望んでお茶会、お茶事に参加するのであれば、やはり多少予習されるなり、詳しい方と一緒に参加されるのが良いと思います。
ただ、甘味処や観光施設で頂くようなお抹茶&お菓子には作法は気にする必要はないですよ。

そうではなく、何かの縁で、お茶会、お茶事に招かれたとしたら。
きっとお相手は、茶道に通じていないことをご存じで、それでも、あなたに来てほしいということでしょうから、そのときは、お道具に傷をつけるようなことがないように大切に扱うこと、ここ一点に留意されたら良いと思います。

その席を通じて、茶道に関心を持たれたら、もしくは、お招き、もてなしの意味をより深く知りたいと思ったら、茶道の門を叩き、そこから作法を学ばれることで、まったく遅くないと思います、私はね。

(断りを入れるまでもなく、上記一切は個人的な見解です。
さらにいうと、お稽古を続ける中で、考えもまた変わっていくような気がします。)

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