好きなエッセーを読む|楽しむと論じる
俵万智さんのエッセーが好きで昔からよく読んでいました。
久しぶりに図書館で手に取り読んでいます。
「やっぱり好きだな」、「この読後感がいいのよ」
懐かしい友達があの頃と変わってなかったような嬉しさを感じながら、読み進めていました。
ふと、私もnoteに投稿しているのだから、なにか書く側として参考にできないかしら、そんな思いが浮かんできました。
俵さんの文章ってどうなっているんだろう。
どうして好きだと感じるのかしら。
どれどれ
・です、ます調ではないのね。
・体言止めが多いわ。
・誰かの発言を利用することが多い。
・発言を示す「」に呼びかけの言葉が入ることが多い(気がする)。
などなど。
へ~と思いながら、しばらく読み進める。
……
分析する(=論じる)のは、それはそれで楽しいけど、文章そのものは楽しめていないことに気づく。
うん、とりあえずやめよう。
楽しみながら、分析することは、私にはできないようです。
できる方もいるのかな。すごいな。
分析するとしても、その前に楽しみたいな。
分析してからだと、感覚的に楽しめない気がします。
(論理的に楽しめるのかもしれないけど)
建築を見るときもそう。
「床、壁、天井の仕上げは何?」
そこから入ってしまうと、設計者の意図は見えてくるかもしれないけど。
その前に「なんとなくここの空間好き。雰囲気いい!」を感じてから、そう感じられる要因を探りに行きたい。
まっしろな状態で、対象と相対して、どう感じるか。
そのときに感じたものを大切にしたい。
作り手も分析者を対象に作っているわけじゃないしね。
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私が好きな俵万智さんのエッセーを紹介しようと思って、本棚をみたら
……ない!
でもタイトル覚えています。
かすみ草のおねえさん (文春文庫)
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