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更年期の母と冷静極まる私

akaです。

「怒る人は怒りたいから怒る」というフレーズをどこかで聞いて「怒る」がゲシュタルト崩壊したある日を思い出しました。

お母さんがいつものように怒っているのを見てイライラしたときに思い出しました。お母さんは毎日1回は何かに怒ります。

だからこの間「も〜怒りたくてしょうがないのねえほらほらこれくらいやってあげるから」という旨のことを言って家事や雑用をするとばつが悪そうに笑って機嫌をなおしてくれました。

母は自分が怒ることに対して多少の罪悪感のようなものを持ちつつ、怒ることを我慢できないのだと思いました。

怒って愚痴を言っているとき、昔はいちいち反応してあげたり、黙って家事などしていましたが、その「気を遣っている感満載の対応」が、彼女のばつの悪さを増大させさらにストレスを増やしていたのだと気づきました。

だからこんどは黙って聞いていると、ひと通り怒って満足したあと「一人では黙っているがあんたがいるから愚痴を言うのだ」と言われました。娘に甘えているのです。本当は甘えん坊なんだろうと思いました。

母親としていつも元気で明るくいたいとか、あるいはもうすこし自分の時間が欲しいとか、なにか理想があるのでしょう。それを成せないこと、娘が嫌そうにしているのに怒ってしまうこと、うまくいかないこと全てに怒り、怒りのエネルギーが彼女の体内に毎日少しずつ充填されていきます。

だからこちらもはっきりと「あなたが怒っているのが目につくので家事や雑用を手伝いますよ」ということを指摘した上でお手伝いすることで、お母さんのばつの悪さもわたしのイライラも解消して、わだかまりなく物事をすすめることにしました。

私のお母さんはたった一人です。
お母さんの娘である私はたった一人です。

お母さんは何にでも怒るし、家は散らかすし、頭もあまり良くないのでたまにめちゃくちゃなことをします。昔はそれが嫌で、自分の家は毒親なんじゃないかと不信感を抱くこともありました。

でも、毎日ご飯を作って、パートに行って、たった一人の私のために、あるいはたった一人の弟や父や祖父母のために、一生懸命母・妻・娘であろうとしていることは間違いないということが、年をとってわかりました。

だから、そのために日々行われるめちゃくちゃの数々にはこだわらず、母の全てを受け入れ仲良くしています。母も変わり者の私を受け入れ仲良くしてくれています。

「仲良くすることはこういうことだ」の常識はそれぞれであっても、「仲良くすること」が共通しているので、うちの家族は今日まで殺しあわずに生きています。

家族ってこんなもんですかね。

わたしを見て「母親の母親になるアダルトチルドレンなのではないか」などと言う人が現れるかもしれません。

でも、私は大好きな母と仲良く暮らせればなんでもいいと思っています。

繰り返すようですが、私自身「私はアダルトチルドレンに違いない」「母は毒親だ」などと泣いた夜が何度もありました。

しかし、社会経験を積んで大きくなるのはあくまで私であって、家が理想の家庭らしきものではなかったとしても、私は外に出て、勝手にどこかで似たようなことを積み上げていくのです。

母は、私が大きくなるまで、ご飯を作って、掃除をして、地面にセミが転がっていれば、自分も虫嫌いなのによけてくれて、そうやって私を生かしてくれました。

家庭によって生かされ、自分の家庭に無い部分はどこかで勝手に積み上げて、精神的に家庭から自立した後も、私は勝手に育ちます。

だから、全てを家庭に求めるのはやめました。
毎日仲良く暮らせること、みんなが健康に過ごせること、それさえあれば十分だと思いました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。それではみなさん、

グッド・バイ。

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あか
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