日本最北端紀行。その1(関東脱出編)
早朝5時の最寄り駅。
この切符で改札を通るのはいつぶりだろう。そんなことを思いながら駅員さんに差し出した切符には、5回分ハンコを押すスペースがある。
「本券、一度ご利用になりますと払い戻しできなくなりますがよろしいでしょうか。」と、念を押されたうえで日付と駅名入りのハンコが押される。『1回(人)』のスペースに、もう引き返せない事実をまざまざと見せつけているようにハンコが刻まれていた。
切符を購入したときは、「今年の夏は絶対に旅に出よう!」という、あてのない決意を叶えるために必要なタスクがひとつ果たせて前向きな心持ちになったが、いざ旅が始まろうかという瞬間になると、一抹の絶望にも似た感情が沸々とわき上がってくる。旅の過酷さや不安要素が思い起こされるからである。
駅のホームで電車を待つ。時刻通りに、乗る予定の電車がやって来た。
序章(旅に出るまで)
青春18きっぷを使って、関東を抜けて東北を超え、北海道を走り抜けて日本最北端の駅・稚内まで行ってみよう。
はじめて思い立ったのはいつか忘れてしまった。しかし、もともと旅鉄系のYouTubeチャンネルが好きで、動画を見て回る中で稚内を目指す動画を見たことがきっかけだと思う。
それを皮切りに、夏休みは涼しい北海道で過ごしたいとか、北海道は過去に札幌と小樽しか行ったことないから他の場所も知りたいとか、今後廃線が決まっている路線に乗りたいとか、そんな想いが浮かんできた。心の奥底で渦巻いていたいくつもの願いが思い起こされた、というやつだろう。
そうした願いを全て叶えるためには、JR全線(普通列車に限る)に乗れる「青春18きっぷ」が最適であろうと思い至った。この切符さえあればどこまででも気ままに行けるし、余計なことを考えなくていい!という、果てしない自由を手にできる感覚が良い。
大学生の頃にも18きっぷで旅行したことがあり、当時と同じ要領で旅程を組み始めた。前提として、切符1枚で5日ぶんのセットになる(※1)ため、5日以内の旅程に収める必要がある。そのため、基本的には始発から終電近くまで電車に乗ることになる。
しかし、今回は初めて訪れる場所も多く、観光の時間も設けたかった。加えて、一日に数本しか普通列車が走っておらず、接続が良くない区間もあった。そのため、ところどころで特急列車に乗るルートもやむなく採用した。大学生の頃は、持ち合わせが無くてとれない手段だったが、時間よりもお金を優先しようと舵を切れるのも、社会人になったが所以かなと感じる。
いずれにせよ、使っている切符は変わらないものの、大学時代の心持ちからはささやかなズレを感じつつ、旅はスタートした。
1日目
最寄り駅から新宿駅まで到着。その後、埼京線→宇都宮線→東北本線→…と、順々に乗り継いでいく。まずは関東を脱出すべく、一心不乱で北上し続けた。
赤羽駅での宇都宮線乗り換えの際に、駅名標を写真に撮っているおじさんを見かけた。その後もしばらく同じ電車内で姿を見つけたので、きっと自分と同じく旅をしていた人なのだろう。乗り換えを繰り返す中で見失ったが、きっと仙台あたりまでは行ったのだろうと思う。他にも、自分と同じく旅の装いをした人たちを何人も見かけた。
関東近郊エリアはとうに抜けたという頃。
新白河駅で次の電車に乗り換えたとき、あることが起こった。
人が多くて座席に座れない。
関東近郊エリアを走る電車は乗客数も多いことから、10〜15両編成の電車が走っている。北上するに伴って乗客数が減るため、車両の数も4両→2両→…といった具合に減っていく。
しかし、18きっぷをはじめとするJRのフリー切符が使える期間、かつお盆休みといった観光のハイシーズンには、こうした普通列車の乗客者数も多くなる。
その結果、座席は地元の人や旅の人含めた乗客で満員。旅に出る前に思い描いていた、ボックス席に自分ひとりだけ座って、おにぎりとお茶でも口にしつつ、車窓から景色を眺めながらゆったり移動したいという想いが打ち砕かれてゆく。その想いの破片を胸に、宇都宮駅のNEWDAYSで購入したレットブル355mL缶を淡々と飲みながら、電車内に拡がる『非日常の中の非日常』を眺めていた。
しかし、それも宮城県に入り白石駅で乗り換えると、車両の数が増えていたことで解消された。久しぶりに座席に座れる喜びを感じる。
かくして、仙台駅まで到着。
東北地方の玄関口と呼べる場所。乗り換えまでの時間が30分ほどあったので、お昼ご飯でも買おうと思っていた。
しかし、ここでもちょっとした想定外のことがあった。改札出口に人が大勢並んでいた。18きっぷで改札を出入りする際は駅員さんのいる改札を通る必要があるが、他の切符で移動している人の応対によって、自分と同じように18きっぷで移動している人たちが出れずに列をなしているという状況のようだった。
時間は刻一刻と過ぎていく。諦めて次の電車に乗ろうと踵を返すと、他の改札口への案内表示が目にとまった。少し歩いてそちらの改札口に行くと全く人がいなくて、瞬く間に改札外に出られた。
その後、改札外のとある売店でお弁当を物色したが、時間が足りなくなって萩の月バラ売りを2個買うのが精一杯だった。次に乗る電車が発車するまであと5分。先ほどの改札口を再び待ち時間無しで通過し、その勢いのまま吸い込まれるように東北本線小牛田(こごた)(※2)行きに乗った。
小牛田駅からは陸羽東線に乗り換えて、山形県の新庄駅を目指す。このまま北上して、盛岡や八戸を抜けるルートも旅程を立てる際に候補として出てきたが、行きたい場所と乗りたい路線を求めて、山形や秋田を経由するルートを採用した。
このあたりから、台風7号接近に伴って雨風が強くなってきた。万が一、電車が止まるほどの大雨になったらどうしようという一抹の不安をよそに、電車は力強く山道を走り抜けていく。
鳴子温泉駅に到着。少し電車の扉が開いただけで、硫黄の匂いが漂ってきた。車窓から辺りを見渡すと、山奥の温泉街の景色が広がっており、たくさんの人が降りていくのを見て、温泉に入りたい気持ちが募った。
ただ、今回目指すのはさらにこの先。周囲の山あいの険しさも、いっそう増したように感じられた。警笛を鳴らす頻度も増えたが、きっと野生動物との衝突を防ぐためだろう。
かくして、新庄駅まで到着。今回の旅程で、唯一山形県の駅に立ち寄った。観光できる時間は無かったが、わずかばかりでも山形を感じたく、改札外の売店で米沢牛のビーフジャーキーとくぢら餅を買った。改札外には新庄のお祭で使っているとおぼしき山車も展示されており、青森のねぶた祭りも然り、東北地方は『和』を感じられるお祭りが多いのかなと思った。
新庄駅からは、奥羽本線秋田行きに乗り換え。
しばらく乗っていると、時間は既に19時に差し掛かろうかという頃。陽が落ち、闇を帯び始めた景色が辺り一面に広がる中、電車は進んでいく。旅の序盤ではあれほど存在が気になった他の乗客も、ここまで来ると数人いるかというところだった。
秋田駅に到着する前に、横手駅でいったん下車。友人のひとりが暮らしている街で、かねてから訪れたいと思っていた。当の友人は予定があったため、一緒に食事や飲みに行くことは叶わなかったが、オススメされたお店にお邪魔した。
駅からお店までは徒歩10分程度。小雨の降る中、ガラガラと音を立てながらスーツケースを引き、街を歩く。お店に着くと、カウンター席に通された。スーツケースを持ってやって来た、いかにもよそ者の装いをしている自分が浮いていないかと少し気になる程度には、地元の人たちで賑わっていた。右隣には、自分と同じく一人旅で来たとおぼしき人が無言でオーダー表を見つめており、左隣には、帰省して久々に会ったとおぼしき若者数人が、昔ばなしや近況報告に花を咲かせていた。
しばしオーダー票を見つめた結果、串焼きと刺身盛り合わせ、そして横手名物の「横手やきそば」を注文。横手焼きそばの特徴のひとつに、片面焼きの目玉焼きがトッピングされていることが挙げられ、自分のもとにきた横手焼きそばにも目玉焼きがのっていた。ソースは少し甘じょっぱく、水分多めで美味しい。串焼きと刺身も美味しくいただいた。
お店は終始繁盛しており、店主さんも忙しなく注文をとったり料理を作ったりしており、横手についてゆったりと話を聞くことは叶わなかった。ただ、横手のありのままの一日を体感できた気がして、むしろ貴重だったと感じた。
お店を出た後は、Googleマップで横手駅周辺を見ていて目に留まった『横手城』を目指してみることに。横手の街中を歩くが、街灯があまり点いておらず少し心もとない。スマホのライトを点けないと足元がよく見えない場所もあった。
そんなこんなで近くまで来れたが、電車のダイヤの都合などもあり天守閣まで辿り着けなかった。横手駅まで戻り、待合室にて秋田駅行きの電車を待った。待合室のテレビでは、NHKの「ライブエール」が流れており、司会の内村光良さんと宇多田ヒカルさんの姿が映っていた。そういえば今日はずっとテレビも観れていなかった、と、束の間ながら現実との繋がりを覚えた。
雨の影響もあってか、秋田行きの電車は定刻より少し遅れて来た。普段、都内で電車待ちをしているときは、5分の遅れも待ち切れなく感じてしまうが、今の状況では目的地まで運んでくれることが有難く、文句なんて何も無いと思える。見知らぬ地での、初めて名を聞くような路線で移動しているからこその感覚であり、この旅を通して得られるものなのだろう。
秋田駅に到着して、この日の移動は終了。宿に着いてひと段落したあとは、翌日の旅程を改めて確認し、アラームをセットして眠りについた。
アラームは5時30分にセットされていた。翌日も朝早くからの移動が待ち構えていたのである―。
つづく