半世紀以上も前に! 映画 「猿の惑星 (1968年)」 の衝撃
ここのところ忙しい日々が続いていて、noteがすっかりご無沙汰になってしまった。多分社会人として最後の忙しさなのだろう。それはわかっている。仕事があるありがたさを噛み締めながら過ごすことにしよう。
ところで、何週間か前に映画「オッペンハイマー」を見に行った時の予告編に「猿の惑星/キングダム」があった。
その時に、思い出した。あの第一作の「猿の惑星」を見た時の衝撃を。
多分最初に見たのは、小学生の時だろうか。この第一作は1968年だというから、もう登場から何年も経ってから、テレビの「〇曜ロードショー」か何かで観たのだろう。それに、その後も大人になるまでに2、3回は同じくテレビで観ている気がする。小学生の時は単に「猿が人間を支配するなんて、面白いなー」というレベルで見ていたはず。大学生の頃は、どうだろう。きっともう少し深い視点で見ていた、と信じたい。
それにしても、1968年、というと、今から56年前。半世紀以上前か。
ちなみに、1968年とはどんな時代だったのか。調べると、国連総会でNPT核不拡散条約が採択され、その四年前には米英ソに加えて中国も核実験を成功させた、そんな時代だったようだ。
時々思うのだが、私の子供の頃は、アニメにしても、核戦争や、地球の未来といった壮大なテーマのものが多かった気がする。特に好きだった「宇宙戦艦ヤマト」も、核戦争で滅亡しそうな地球を救うために、放射能除去装置をある惑星まで取りに行く話だったかと思う。テレビ版では、いつも最後に「地球滅亡まであと〇日」というテロップが流れ、私は子供心にドキドキしたのを覚えている。それだけ核兵器の愚かさを意識し、核戦争の恐怖に人々は覆われていたということなのだろう。ゴジラだってそうだし。そしてそれは私の成長にもきっと大きな影響を及ぼしていて、地球規模のことや、戦争、人類、未来といった壮大なものを意識する人間の形成に一役買っている気がする。
最近も、子供向けにそういう感じの映画やアニメはあるのだろうか。よく知らないのだけれど、あってほしいなあ。これは自分が歳をとったこととも関係あるとは思うけれど、最近人気だというアニメは、色調がやたら暗かったり、残酷だったり、刀できりつけて鮮血が雪の上に飛び散ったりと、苦手意識を持っているのだけれど、きっとよく見ると、深いテーマが隠れているのだろう、と思いたい。それに、テーマが壮大なものもきっとあるだろう。今度、積極的にそういうものを見つけて観てみようと思う。
ところで、最新作「猿の惑星/キングダム」。近いうちに観に行こうと思ったが、やはり、この1968年の第一作はぜひとももう一度観ておかねばと思い、Amazonプライムで早速観てみた。
いやあ、実に面白い。ひとつひとつは書かないが、実に細かいところに監督が伝えたいメッセージを感じ取ることができた。
まず、普通に思ったのは、今地球上の王者として君臨する人類が動物たちにいかに残虐なことをしているかということ。
さらに、同じ「猿」同士でも、オランウータンとチンパンジーの対立は、人種間の対立にも思えた。
そして、かつてこの惑星に人類が栄えていたという、猿たちにとって「あってはならない」実際の歴史と、彼らの宗教の教えとの矛盾。アメリカでのキリスト教右派の”進化論”をめぐる論争も思い起こされる。そして、その矛盾を隠すために、「この地に入ってはならぬ」などという宗教上の禁忌を書いた「聖典」を作るということ。宗教が民を支配する政治の道具として使われていることも、今の人間がやっていることを思い起こして、はっとさせられる。
科学庁長官で宗教擁護者でもある猿のゼイウス博士が、猿には都合の悪い真実について、前から実は全部わかっていて民に対しては嘘をつき続け、映画の後半では、彼が改めてその証拠の遺跡を見た後に、それを爆破し、平和のためにはこれでよいのだと言うところも、とても考えさせられる。
「偉大なる祖国」の「物語」を紡ぐのに懸命で、戦争を正当化ばかりしている人間世界の政治家たちを思い出したが、「平和のために」真実を隠す猿の政治家は、「平和のために」と言って侵略戦争をする今の人間の政治家よりもよほどマシなのかもしれないと思った。
また、主人公の猿のジーラとコーネリアスの研究者夫婦が面白い。学術的な真実が政治的な正義と違う場合に何が起きるか。わたしたちの国でも、そんな遠くない過去に、いや今でも、「政治と学術」で構造的には同じようなことが起きているのではないだろうか。
なんてことを、猿の惑星の原点を見ながら考えていたのだった。
ちなみに、最後の最後にチャールトン・ヘストン演じるテイラーが、人類がこの場所で滅びたことを証明する遺跡(あまりに有名なので書くと、自由の女神)を見つけた時に発した言葉。英語では・・・
今、実につまらなく自分勝手な、「美しく勇敢な物語」が世界中で紡ぎまくられ、多くの民が踊らされ、それに踊らない民を民がいじめ、結局、紡ぐ人ではなく、ただ日々を一生懸命生きているだけ、また物語に疑問を呈した人が殺しまくられ、またその殺戮を正当化する物語紡ぎを競い合っている人類。
今の世界も、テイラーが最後に叫んだ「本当にやっちまったのかよ!We finally, really, did it.」になって、敵も味方も滅びて、本当のidiotsになってしまわないように、このことだけは真剣に考えておかねばならない、と真面目に思う。核の脅威と言葉では言ってもすっかり慣れてしまっていはいないだろうか。
さあ、最新作の「猿の惑星」。近いうちに行ってみるつもりだ。半世紀前に第一作が私たちに突きつけたもの以上のものを、見せてくれるだろうか。
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きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😃
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