26回目の「春よ、来い」
毎年、必ず思い出す曲。松任谷由実の「春よ、来い」
この曲を聞くたびに、「希望」、「復興」、「再生」といったキーワードを思い浮かべます。
以前、この曲の唄い出しに出てくる沈丁花がどんな花か20年以上経っても知らないということを書きました。今年、やっと調べました。
「春よ、来い」という曲、小学生のころに神戸の長田区から一時避難してきた女の子がお昼の放送のリクエストで希望した曲でした。
今日で、阪神・淡路大震災から26年です。
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朝のニュースですぐには現実と認識できない映像が流れてきた日。
いつもはテレビを見ながらご飯を食べていたけれど、その日だけはテレビを消して黙とうをしてから夕飯を黙々と食べました。
もらったお年玉から人生で初めて募金をしたのもこの時でした。
93年の北海道南西沖地震、95年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)は、子供ながらに「地震=恐ろしいもの」であると強く感じる出来事でした。
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それから12年後の2007年、カナダへ留学していたころに、日本で英語を教えていたこともある語学学校のカナダ人講師から言われたこと。
「阪神大震災がどれほどの出来事だったのか分かっているの!亡くなった人の数で見れば、米国同時多発テロの3倍よ!あなたたち日本人はあんなにDevastateな出来事を絶対にいつまでも記憶にとどめなければいけない。」
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関西に住んでいたころ、出会った方の中には被災された方もいらっしゃって当時のお話しを伺うことがありました。実際に避難所で過ごされた方、大阪で働いていて家に帰れなくなった方、震災後に何日も会社にとどまって働いていた方。それぞれに、大変な時間を過ごされていらっしゃいました。
私自身は関西から遠く離れたところに住んでいたので、当事者ではありません。被災していない自分が何を届けられるのだろうと思う心もあり、今日もかなり戸惑いながら記事を発信しようか迷いました。
それでも、今の私にできること。
時間が経てば、人間記憶を忘れるようにできている
それでも「災害は忘れたころにやってくる」
災害の記憶を風化させず思い出すためにnoteで発信すること
これが、唯一出来ることだと思います。
阪神・淡路大震災
地震の正式名称:「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」
発生:1995年1月17日 午前5時46分
震度7 マグニチュード7.3
死者 6,434人、負傷者 43,792人
住家全壊 104,906棟、住家半壊 144,274棟
水道断水 約130万戸、ガス供給停止 約86万戸、停電 約260万戸 等
(注)ライフライン被害はピーク時の数値
出典:気象庁「阪神・淡路大震災から20年」特設サイト
※よく、ニュースで報道されているのは「震災」。
これは、地震により発生した災害です。
それとは別に地震そのものにも名前があります。
その名前が「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」です。
住宅への被害
被害を受けた家の多くが旧耐震基準に基づいて建てられた家でした。
やはり、住宅の耐震性を確保することは大切です。
住家被害では、老朽木造家屋の全壊及び 1階部分が倒壊した事例が多く、一方、外見上の損傷がなくとも基礎部分を含む主要講造部が致命的な損傷を受けている。家屋の倒壊は、神戸市から海岸に沿って東側に集中しており、人的被害の発生と地域をほぼ同じくしている。
出典:内閣府「阪神・淡路大震災の概要と被害状況」
人的被害
亡くなった方の8割以上は住宅の倒壊や家具の転倒が原因でした。
家の耐震性確保、家具の配置は被害を防ぐ上で行っておきたいことです。
また、火災が原因で亡くなった方が12%。冬の寒い朝に地震が起きており、ストーブなどからの出火もあったようでした。
揺れが収まった後にガスの元栓をひねる、家電のコンセントを抜く、ブレーカーを落として避難する(通電火災対策)ことが火災の予防に効果的です。
死亡原因の8割以上が建物倒壊等による圧死であったとされていることから、地震から人命を守るためには住宅等の耐震化を促進することが極めて有効な取り組みであると考えられている。
※神戸市内の検視結果に基づく
出典:朝日新聞 1.17
思い出し、記憶をとどめておくために
お時間がありましたら朝日新聞デジタルの動画や写真をご覧ください。
リンク先すぐにある4分弱の動画に当時の様子、25年後の様子が詰まっています。
終わりに
松任谷由実の「春よ、来い」。原曲を久しぶりに聞きました。
当時は難しく感じた歌詞、今はこの歌詞の美しさに感嘆しています。
いつ聞いてもピアノのイントロがすてきです。
あじさい