相手の権利と相手の問題
「こんなこと言ったら嫌われるかな?」と思って言うと、
実際に嫌う人もいれば、嫌わない人もいる。
「こんなことしたら嫌われるかな?」と思ってすると、
実際に嫌う人もいれば、嫌わない人もいる。
「こんな風に生きたら嫌われるかな?」と思って生きると、
実際に嫌う人もいれば、嫌わない人もいる。
自分が何を言っても、
自分が何を思っても、
自分がどう生きても、
結局、嫌う人もいれば、嫌わない人もいる。
誰かに「嫌われた」として、
このとき、その理由を自分のせいにしだすと、大抵おかしなことになる。
いや、何か思い当たるふしがあって、自分がそれに後悔しるなら反省したっていいんだけど。
でも、基本的に「嫌う」というのは、それは自分ではなくて「相手の問題」なんだな。
相手が、相手の理由で、嫌いたいから嫌うわけよ。
だから、どんなに自分が頑張ったところで、自分に対するイメージや感情は向が決めることなわけよ。
自分にはどうしようもないわけよ。
自分が何を言っても、
自分が何を思っても、
自分がどう生きても、
結局、嫌う人もいれば、嫌わない人もいるわけよ。
「自分を嫌う」人を許そう。
「自分を好きにならない人もいる」ことを許そう。
そいつは、相手の権利と相手の問題なのだから。
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